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トッド入門講座

文明以前の人類史(2・完)ー人間はどういう生物かー


前回、恐竜が絶滅して哺乳類の天下になったところで終わりましたので、本日はその続きです。

7 霊長類の祖先は誰?(9000万〜5500万年前)

かりに生物の興亡を神様の「実験」と考えると「大きさ」の可能性を試してみたのが恐竜のケースだという気がします。「大きすぎるのもダメか」と分かった神は、次に「社会性」(≒ 知性)の可能性を試してみようと思ったのかもしれません。

そんなわけで(?)、哺乳類の中から霊長類が生まれ、人類への進化の端緒が開かれます。9000万〜5500万年前のことです。

ところで、霊長類(サル目)から類人猿、ヒトへという流れは比較的よく知られていると思うのですが、そもそもの霊長類の祖先って誰なのでしょうか。人類をよりよく理解するためにぜひ知っておきたいポイントのように思い、調査してみました。

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ツパイ Stavenn @wikimedia commons

数ある哺乳類の種目の中で、霊長類に一番近いとされているのはヒヨケザル目(Dermoptera)やツパイ目(Scandentia)です。どちらも樹上で暮らすリス・ネズミ系統のルックスの動物で、この系統の初期の生物(約9000万年前)が霊長類の元になったと考えられています。

絶滅した初期の霊長類、プレシアダピス目の生物は下のような姿だったそうです。まさに「ツパイからサルに進化する途中」という感じですね。

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©︎N.Tamura @wikimedia commons

二日酔いの救世主? 「アルコール分3.8%の蜜」だけを食べる、酔わない動物 マレーシアの森林に棲む小さな哺乳類、ハネオツパイが餌にするヤシの花には、ライトビール並みのアルコール分が含まれている。驚く wired.jp

「人類の祖先」というと、槍をもってマンモスを狩る狩猟採集民を思い描く方が多いのではないかと思います。あるいは、森をあばれ回るチンパンジーとか(チンパンジーのオスはそれなりに獰猛です)。

しかし、その彼らの祖先は、小さく無防備な身体で、生き延びるために危機感知能力と社会性を高め(→危機意識を仲間と共有する)、樹上で葉っぱや花、果実や昆虫を食べる小型の動物だったのです。そう思うと、人類についても少し違う見方ができるような気がしませんか。

実際、初期の人類も、他の動物との関係ではどちらかといえば「食べられる」側だったようです。

8 直立二足歩行を始めた霊長類 ホミニン(約700万年前〜)

この領域では、研究の進展が日進月歩であるせいなのか、あるいは現生人類に関するトピックとして古い用語が人々の頭にこびりついてしまっているせいなのか分かりませんが、用語が今ひとつ定まっていません。

霊長類の中のサルと類人猿の系統の中から約3400万年前に類人猿のグループ(ヒト科)ができ、まずオランウータン系統(1700万〜1400万年前)、次にゴリラ系統(1000万〜700万年前)が分岐し、最後に700万〜600万年前頃のアフリカでチンパンジーとヒトが分化したとされています。

専門用語で説明すると、ヒト科(Hominidae)がオランウータン亜科(Ponginae)とヒト亜科(Homininae)に分かれ、ヒト亜科がゴリラ族(Gorillini)とヒト族(Hominini)に分かれ、そのヒト族がチンパンジー亜族(Panina)とヒト亜族(Hominina)に分かれ、ヒト亜族の下にやがてヒト属(Homo)(→人類です)が生まれるのですが、このヒト亜族の中のヒト属以外の生物をなんと呼ぶかが問題です(専門的には以下でご紹介するような「アウストラロピテクス属」「サヘラントロプス属」‥‥といったものたちなのですが、それを総称したい場合にどうするか、ということです)。

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日本語のイメージとしては「猿人」に近いと思うのですが、「ヒト亜族」の概念に「猿」の要素は含まれていません。また、「猿人」のラテン語バージョンである「ピテカントロプス(Pithecanthropus)」(Pithecos(猿)+Anthoropos (人)の造語) という語がかつてホモ・エレクトゥスなどの人類(ヒト属)を表すのに使われていたというややこしさもあります。

そういうわけで、ここではラテン語の「Hominina」の簡易版として「ホミニン」という言葉を用います。

ヒト属も「Hominina」に含まれるので、正確には「ヒト属以外のホミニン」ですが、それを略して「ホミニン」とします。以下、「ホミニン」という場合は、ヒト亜科ヒト亜族の中のヒト属以外の生物、とご理解ください。

また、ここでは「人類」という言葉は、ヒト亜科ヒト亜族の中のヒト属だけに用いることとします。

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ところで、身体に対して脳が大きいことは霊長類の特徴の一つですが、ホミニンと他の霊長類を分けるのは脳の大きさではありません。直立二足歩行です。

ホミニンの脳の容量は300〜500mlくらいで、ゴリラやチンパンジーと変わりません。彼らはまだ腕が長く、手や足は木登りに適した形をしていましたが、効率的ではないけれど、直立二足歩行が可能な骨格を持っていたのです。

ホミニンは、普段は樹の上で暮らし、開けた土地を移動するときなどに、一時的に直立二足歩行をしていたものと考えられています。

9 人類への進化(約250万年前〜)

不完全な二足歩行の状態を脱し、完全な直立歩行に適した身体と大きな脳を持つようになったホミニン、それがヒト属(ホモ属)です。

今のところもっとも古い人類とされているホモ・ハビリス(250万年前)は、形態は後期のアウストラロピテクス属によく似ていましたが、脳が大きく(700ml)、石器を使っていた跡があることからヒト属に分類されました。190万年前の化石が見つかっているホモ・ルドルフェンシスもよく似たタイプの人類です。

初期人類はなぜ二足歩行を始めたのか。この背景にも、気候の変動があるようです。現在の地球は、氷河時代(第4期氷河時代)の間氷期にありますが、この第4期氷河時代が始まったのが約258万年前、ちょうどホモ・ハビリスが登場したとされる頃なのです。

氷河時代が始まり北半球に氷河ができ始めるとその影響でアフリカでは乾燥化が進みます(そうらしいです。どういう仕組みか私には今のところわかりません。ご存じの方は教えて下さい)。豊かな森に覆われていたアフリカ大陸で、森が減少し、草原(サバンナ)が増えていくのです。

ホミニンは主に樹上で暮らし、開けた土地を移動するときだけ二足歩行をしていましたが、樹は減り「開けた土地」の方が増えてきました。この環境への適応として、人類は、完全な直立二足歩行を行うことになったと考えられます。

約190万年前、見渡す限り草原が多い尽くすようになった頃、現生人類(ホモ・サピエンス)により近い人類が現れます。ホモ・エルガステルです。

◉ これも「聞いたことがない」という方が多いと思います。先日亡くなった人類学者リチャード・リーキー(Richard Leakey)が発掘した全身骨格「Tulkana boy」がちょっと有名です(下の写真は骨格からの復元図。いろいろな復元図像が作られていますが、『人類史マップ』(日経ナショナル・ジオグラフィック社、2021年)33頁の復元像(エリザベト・デイネ制作)がとても素敵です)。ホモ・エレクトゥスと共通の特徴を多く持つ彼らはホモ・エレクトゥスの一種とされることもあり、独立した種類として扱うかどうかには議論があるようです。大事なのは、主にアジアで見つかっていたホモ・エレクトゥス(北京原人、ジャワ原人など)とよく似た人類が、より早い時期に、アフリカに登場していたという点です。ホモ・エルガステルを独立の種類と認めるかはともかく、約190万年前のアフリカに彼らが暮らしており、彼らこそがホモ・エレクトゥス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンス(現生人類)の共通の祖先になったという事実は、概ね受け入れられているようです。

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By Cicero Moraes – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24806426

ホモ・エルガステル(「働くヒト」の意)は、比較的高い身長と細身の体で、直立二足歩行に適した骨格を持っていました。彼らは複雑な社会集団を作って暮らし、かつては木に登り枝から枝へ移動するために使っていた手で道具を作って働き、すでに肉を食べていたことが知られています。

長距離を歩くことができた彼らは、アフリカを出た最初の人類とされています。190万年前以降、アフリカからコーカサス、中東、南アジア、アジア、ヨーロッパと数万年から数十万年という長い時間をかけて、その生息地を拡大していきました。

生息地が広がると、地方ごとに変異体が生じます。その結果、ホモ・エレクトゥス、ホモ・アンテセッサー(ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスの共通祖先と考えられているホモ属)、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンスといった多様な人類が生まれていくのです。

10「人間らしさ」への道(約7万年前〜)

ホモ・ネアンデルターレンシス(約35万年前〜)がまだ生きていた約20万年前、アフリカにホモ・サピエンス(現生人類)が現れます。

なお、この時期あるいはこれ以降に生息していたことが確認されている人類には、ホモ・ネアンデルターレンシスのほか、ホモ・フロレシエンシス(身長1mと小型のため「ホビット」という愛称で呼ばれている)、デニソワ人(シベリアで化石が発掘。ホモ・アンテセッサーを祖先とすると考えられる人類だが、ホモ・ネアンデルターレンシスとの近縁性から「新種」認定の要否には議論があるもよう)などがいて、デニソワ人、ホモ・ネアンデルターレンシスについてはホモ・サピエンスとの交配もあったとされています。

こうしたことからも推察されるように、ホモ・サピエンスは「誕生当初から画期的な人類だった!」というわけではないのです。脳の容量も後期のホモ・エルガステルやホモ・ネアンデルターレンシスと大きく違うわけではないですし(ネアンデルターレンシスはほぼ同等です)、道具や火の使用も双方に認められています。ホモ・ネアンデルターレンシスは、少なくとも形態学的には、言語を発する能力があったそうです。

平凡な人類として生まれたホモ・サピエンスが、狩猟を始め、言語を操り、「人間らしさ」を発揮するようになったのはなぜか。その背景には、またしても、気候の変化があったもようです。

20万年前にアフリカに登場したホモ・サピエンスは世界各地に拡散しますが、間氷期を挟んだ氷期の繰り返しで、順調に数を増やすには至りません(氷期に減り、間氷期に持ち直すの繰り返しであったと考えられます)。

そうこうするうちに、トバ山の噴火(インドネシア・スマトラ島)という大事件が起きるのです(7万5000年〜7万年前)。人類史上最大であったと考えられているこの噴火により、地球は「火山の冬」に突入(地球の平均気温を5℃下げる劇的な寒冷化が6000年間続いたとされる)、その後も断続的に気温が低下して最終氷期を迎えます(現在の間氷期の直前の氷期です)。

◉ ただし、トバ山噴火の気候への影響については議論百出です(検索してみてください)。地域差が大きく大して影響を受けなかった地域もあったとか、寒冷化はせいぜい100年程度だったとか、「火山の冬」の影響を相対化する立場も力をましているようです。

リンクは2018年のナショナル・ジオグラフィックhttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031400115/

この間にホモ・エルガステルやホモ・エレクトゥスは絶滅、ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・サピエンスも大幅に数を減らします。絶滅寸前まで行ったと考える研究者もいます。

狩猟が始まり、私たちが「人間らしい」と感じる文化が花開くのは、ざっくり言ってこの直後なのです。

先ほど、ホモ・エルガステルは「すでに肉を食べていた」と書きました。人類は早くから鳥や小型の動物を取って食べたり、大型の肉食獣が残した肉を食べたりはしていました。しかし、効率的な石器を作る知恵と技術、組織力(チームワーク)を身につけ、大型の動物を仕留めて食べるようになったのは、人類の誕生からは200万年以上、ホモ・サピエンスの登場からでも十数万年経った後、超巨大噴火による(程度はともかく)急激な気象の変化を経験したその直後のことだったようなのです。

石器製作技術を高度化させ、尖頭器やナイフ、槍などを用いた狩猟生活を始めた人類は、同時に、鳥の羽や貝で作った装飾品、ボディペイントで身を装い、動物や人の彫刻を掘り、洞窟の壁に絵を描くことを始めます。証拠を見つけるのは困難ですが、言葉を話し始めたのもこの頃だと考える人が多いようです。仲間の遺体を丁寧に埋葬し死を弔うという習慣もこの頃にはじまりました。

ただし、こうした「人間らしい」文化を享受していたのは、どうやら、ホモ・サピエンスだけではありません。同じ頃(およびそれ以降)、ホモ・ネアンデルターレンシスも、装飾を身につけ、ボディペイントをし、洞窟に絵を描き、死者を弔っていたことが、洞窟などの遺跡資料からわかっています。この点からも、ホモ・サピエンスが種として特別だったわけではないことがわかります。7万年前、地球上には多様な人類がいて、人間らしい暮らしを始めていたのです。

◉ ホモ・ネアンデルターレンシスが絶滅し、ホモ・サピエンスが残ったのはなぜかについてもいろいろな議論がありますが、私はそれほど関心を持っていません。何というか、今後、現生人類の中から「結構違う」個体が現れ、数を増やしたとしても、私たちはその人たちを「ホモ・サピエンス」から外すことはしないのではないでしょうか(どうでしょう)。そう考えると、ホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人が違う種類とされているのも「たまたま」という感じがして、身を飾り死者を弔い、相互に交流もあった間柄なら「「みんな現生人類の祖先」でよくない?」と思ってしまうのです。

11 人間はどういう生物か

(1) 「人間らしさ」 は突然に

ここまで、概ね、専門家の間で共有されている(らしい)事実をご紹介してきましたが、ここから先は、私が勝手に立てた仮説です。

「人間ってどういう生物なんだ?」と疑問に思い、地球の誕生から勉強して7万年前まで来たとき、私は「なるほど、そうか‥‥」とうなっていました。

霊長類から人類が生まれ、現在の人間社会に至る流れは、一般的には、脳の機能を基礎とした漸進的な進歩の過程として理解されていると思います。直立歩行で脳を大きくした霊長類が人類となり、知恵と工夫で少しずつ社会を改良し、現在のような人間社会を築きました、という感じで。

でも、なんか、違いますよね?
ちょっと整理します。

初期の霊長類(ツパイとかです)は、捕食者として食物連鎖の上位に立つにはおよそ不向きな身体を持ちながら、危機意識を増強させ、社会性を高めることで、捕食者から逃れて生き延びました。色覚が豊かであること、脳が比較的大きいことが、霊長類の特徴とされますが、前者は森の中で食物となる昆虫や木の実を探すため、後者は、おそらく、危機対応能力と社会性の向上のために発達したものです。

ホミニンは初期霊長類と比べると身体が大きいですが、基本的な行動様式はあまり変わりません。樹上生活を基本とし、危機意識の強さと社会性で捕食を免れ(それでもときにはヒョウなどのネコ科動物に食べられたりしながら)、昆虫や木の実を食べて暮らしていたのです。

初期人類は、環境の変化によって樹から下りることを強いられ、長距離を移動するようになります。木の実はそこらへんにありませんので、とりあえず何でも食べなければならなくなるでしょう。移動生活の中で食物と寝る場所を確保し捕食を免れ、かつ子供を生み育てて生き延びていくためには、ある程度の規模の集団を作り、組織化された社会生活を行うことが必要になるでしょう。

しかし、初期人類に見られる組織化の進行が、すぐに文化の発達をもたらすわけではありません。初期人類はもうある程度の大きさの脳を持っているのですが、それでも180万年以上の間、基本的に同じレベルの生活を続けます。人類は、大きな気候変動によって生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれた後になって、突然「人間らしく」進化するのです。

(2)人類に何が起きたのか?ー 「社会」 をまとった人類

人類は、約7万年前、高度な道具を作り、大規模で組織的な狩猟を行い、羽飾りをつけ、死者を弔うようになりました。私は、ここが人類の歴史の最大の転換点だと思います。

かつて、道具の使用が人類の指標とされていたことがありました。しかし、いまでは、チンパンジーやゴリラも道具を使うことが知られています。それに、例えばカラスとか犬とかが棒を使ったとしても、それほど違和感はありません(よね?)。「かしこい!」というだけです。

しかし、カラスや犬が、身なりを気にし始めたり、仲間の死を弔ったりし始めたら、大ごとではないでしょうか。このとき人類に起きたのは、そのような「大ごと」なのです。

いったい何が起きたのか。

私が感じるのは、人類は、このとき、本拠地を、自然界から「人間社会」に移した、あるいは少なくともその準備を始めた、ということです。

人間は、単に外敵から身を守り食物を得て子どもを育てるために集団生活をするというレベルを超え(このような生活はほかの動物たちにも見られます)、自然界と個人(人間個体)の間に「社会」という観念的な構造物を作り上げ、そこを本拠地として生きることを始めたのではないでしょうか。おそらく、過酷な自然環境の中でも、種の存続を確実なものとするために。

人間にとっての「社会」は、おそらく、カタツムリにとっての「殻」と同じです。人間と人間を観念の糸でつないで複雑な構造体を作り、「社会という構造体の維持=人類の自然界での生存」という図式を各個体に内面化させる。このようなやり方で、自然界を生き延びるようになった生物、それが人類なのではないか。

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これより前、人類の関心事は、他の動物と同様、「生きること」それだけであったはずです。別に意識はしていないでしょうが、場所はもちろん、本拠地である自然界、宇宙です。しかし「社会」への移住の後、人類の主な関心事は、(自然界で)「生きること」から、「社会をどう維持するか」「社会の中でどう生きるか」に変わったのです。

(3)フィクションの中で生きる

もちろん「社会」は人間の頭の中にしかありません。フィクションです。
しかし、そのフィクションがどれほどよく機能するかを、当事者である私たちは、誰よりもよく知っています。

人間が複雑な脳機能を持つようになったのは、フィクションを現実に成り立たせることで生き延びるという、ややこしい生存戦略を採用したためだと思われます。

社会は人間の脳が人間のために作り出した新しい世界です。
そこには、自然界には存在しない「正邪の基準」があります。

狩猟動物は人類の生存に役立つ「聖なる犠牲」となり、人間の死はあってはならない忌まわしいできごとになります。

社会の維持がすべての構成員の義務となり、守るべき規範が生まれます。
社会の中に地位を確保すること、できればよりよい地位に立つことが構成員の願いとなり、自他を比較し、評価する目線を持つようになります。

こうして、人間は、洞窟に動物の絵を描き、仲間の死を悼み、装飾品を身につけるようになったのだと思います。

「社会」の構築が、優れた生存戦略であったことは、その後の人類の繁栄を見れば明らかでしょう。

当初、広大な宇宙の中の小さな繭、柔らかいシェルターのようなものにすぎなかったであろう「社会」は、どんどん複雑に作り込まれて強度と規模を増し、人間にとっては「世界」と同義になりました。

現代の私たちにとって、自然界は完全に「外部」、むしろ非現実的な場所になりました。日々の生活の中で、ヒョウに食べられる心配をすることは決してありませんし、凍死を心配することもない。

人間の生存に都合のよい場所として「社会」を作り込むことによって、人間は、社会のことだけを考えていれば、生きていけるようになったのです。

しかし、神様としては、「うわ、またやりすぎた」という感じかもしれません。人間にとっての社会適合性(≒脳の複雑な機能)は恐竜にとっての「大きさ」です。恐竜が大きくなりすぎて絶滅したように、人間は、社会というフィクションに適合しすぎることによって絶滅するのだと私は思います。

(4)脳機能の使用はそれほど「自由」ではない

この仮説において、ポイントとなる事実の一つは、その「人間らしさ」は人間が主体的に選んだものではない、進化の産物だということです。

人類は、集団としての生存を賭けて、遺伝子の改変を伴いつつ、極めて特殊な形態の「人間らしい」生活を送る生き物として進化しました。人間は、おそらく、自らの創意工夫ではなく、知らないうちに起きた進化によって、いつの間にかそんな暮らしをしていたのです。

繰り返しますが、人類という野生動物種にとって、社会とは、自然界を生き延びるために必須の装置、カタツムリにとっての殻です。

人間の脳機能が、「社会」というフィクションの中で生きることを可能にするために、天に賦与されたものだとしたら、人間にとって、脳機能(理性や感情)の使用は、それほど「自由」ではない、と考えるのが自然でしょう。

理性にせよ、感情にせよ、それらの機能は、社会を成り立たせるという目的にとって都合よく働くように作られていると考えるのが自然です。

そして、人間の意思活動のうち、「社会」の構築そのものに関わるもっとも基礎的な部分は、人間の意識の奥深く、通常は意識されない部分に隠されているに違いありません。

人類の社会にみられる諸問題、例えば、戦争、殺戮、差別などの問題は、その無意識の部分に、深く関わっていることでしょう。

エマニュエル・トッドが、このような人間観を持っているのかどうか、私は知りません。しかし、「人類ってどういう生き物なんだろうか」と考え、このような仮説を抱くようになった私の目に、トッドの理論は、こうした人間の心の仕組みの一部を解明するもののように見えるのです(うまくまとめすぎでしょうか‥‥)。

(おわり)