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トッド用語事典

乳児死亡率

エマニュエル・トッドは人口動態のデータを用いて社会の内側を透視します。なかでも彼が特に重く見ている指標が乳児死亡率です。

1 乳児死亡率とは

乳児死亡率(infant mortality rate)とは、生まれた子どもが満1歳になるまでに死亡する確率のことをいいます。

出生1000人に対する死亡数で表すのが一般的です。素人にはわかりにくいので、百分率(パーセンテージ)で置き換えてみると、10%が死亡する場合は100、1%が死亡する場合は10、0.1%が死亡する場合は1となります。ちなみに2022年の日本の乳児死亡率は1.8ですので、出生した子が1歳未満で死亡する割合は0.18%となります。

類似の指標に、早期新生児死亡率(1週未満)、新生児死亡率(4週未満)、乳幼児死亡率(5歳未満)がありますが、トッドが主に用いるのは乳児死亡率(1歳未満)です。

2 乳児死亡率の推移(日本)

まず、日本の乳児死亡率の推移を例に、乳児死亡率の一般的(に理解されている)意味を確認しておきましょう。

https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/10nengai_8/index.html

統計開始(1899年)以後の日本の乳児死亡率は、1920年に最高値をつけた後(太平洋戦争期を除いて)一貫して低下を続けます(↑↓)。

https://www.niph.go.jp/journal/data/45-3/199645030011.pdf

このうち、100超から一桁台に下がる時期(1920ー1985)の死亡率減少には、以下の死因による死亡の減少が大きく寄与していることがわかっています(西田茂樹「わが国の乳児死亡率低下に医療技術が果たした役割について」)。

  • 感染症(肺炎・気管支炎・インフルエンザ、下痢・胃腸炎・赤痢・コレラ、髄膜炎・脳炎など)
  • 先天性弱質及び乳児固有の疾患
  • 脚気及び栄養欠乏症
  • 消化器系疾患(感染症以外)

ここから推察するに、初期の乳児死亡率低下(100超→一桁へ)は、近代化の順調な進展(栄養・衛生状態の向上、基本的な医療の普及)を表す指標と見ることができそうです。

他方、一桁台まで低下した先進国の間でも、その先の下がり方にはかなりの違いが見られます。

厚生労働省のデータより作成 各年次の確定数(表1(5年間の平均)とは基準が異なるので注意して下さい)

2.0未満を達成している国は日本を含めて8カ国(2020)。素人の推測ですが、「2.0未満」という数値は、高度医療が広く(比較的平等に)普及していることの指標かな、という気がします。

https://worldpopulationreview.com/country-rankings/infant-mortality-rate-by-country

以下、いくつかの国の最新の数字(UNICEF 2021)を挙げておきますので、ご覧になってみて下さい(低→高)。

3 トッドによる乳児死亡率

(1)ソ連邦崩壊を予測

トッドが乳児死亡率を用いることでソ連崩壊を「予言」したことはよく知られています(『最後の転落』(1976))。

トッドが成し遂げた「偉業」は、具体的にはどういうものだったのか。同時代にさかのぼって確認しておきましょう。

時代は1970年代後半。この頃、西側世界には、ソ連邦内の異変を知らせるニュースが、数多く入ってきていました。

ソ連邦内では何かが起こっている。モスクワから届く情報、風評、噂話の量は、1975年末以来、有意的な比率で増加している。小麦の輸入、政治犯裁判、経済的抑圧、暴動、ストライキ、テロ事件、軍艦内での反乱、西側に対するイデオロギー的批判、いまだ存続している第三インターナショナル内での不和といった具合だ。

『最後の転落』(1976)(藤原書店、2012)34頁

何かが起きている。しかし、何が起きているかはわからない、という状況です。

当時、こうした不具合を感知していても、ソ連社会が危機的な状況にあると考える識者は、ほとんどいなかったようです。ソ連が強大な軍事力を誇る安定した国家であることに疑いの余地はない。おそらく、軍事部門に力を入れすぎて、経済成長が犠牲になっているのだろう‥‥と、そのくらいが、一般的な認識でした。

1978年において、ソ連の現実を観察する者の中で、鉄のカーテンの向こう側で「何かがうまく行っていない」という考えに疑問を抱く者は、ほとんどいない。‥‥現在、ソ連に関する決まり文句は、経済の相対的行き詰まり、生活水準の停滞、時々起こる住民への食糧供給の困難を強調している。しかしソ連専門家と経済学者は、それは成長の停止ではなく、どちらかと言えば、成長の速度の鈍化であると見ている。‥‥

全体としてソ連は、安定した政治システムであって、それが外交的・軍事的強大さのためにあらゆる精力を犠牲にしているのだ、と考えられている。‥‥

トッド「ソ連、その現在の危機ーー死亡率に関する諸現象の分析による記述」(1978)『最後の転落』所収

こうした「一般的な認識」に、真っ向から異議を唱えたのが、若干25歳のトッドだったのです。

ソ連システムの内部的緊張は、決裂点に近づきつつある。今後10年、20年、もしくは30年以内に、世界は最初にして最重要の共産主義システムの衰退もしくは崩壊に際会して、仰天することだろう。‥‥

ソ連邦の歴史は、決定的な局面に入りつつある。

『最後の転落』34頁

トッドの予言は、もちろん、「えーっ?」「そんなこと、あるわけないじゃん」「こんな若造に何がわかる」と、当時のインテリ連中から不評を買ったわけですが、しかし、15年後、ほぼ彼が予測した通りの過程を踏んで、見事に現実となったのです。

このとき、トッドが行ったのは、閉鎖的で、その内部で何が起こっているのかを容易に探知できないある社会について、その健全性を外部から診断する作業であったといえるでしょう。

同じことを試みた同時代人の多くが、ある者は共産主義に期待する立場からソ連を理想化し、ある者は自由主義の立場からソ連に嫌悪と怖れを抱き、どちらもソ連を過大に見積もる傾向があったのに対し、トッドはそうした「主義」から離れ、経済指標からも離れて、人口動態を観察しました。

その結果、崩壊の15年前、西側世界では誰もそれを感知しなかったときに、「その経済的・社会的・政治的内部機構は、‥‥すでに解体を始めている」(「ソ連、その現在の危機」)という診断結果を得ることができたのです。

(2)なぜ乳児死亡率なのか

この結果の析出過程について、トッドは次のように述べています。

『最後の転落』は、システムの崩壊を把握するべく努めるにあたって、様々な指標‥‥を用いているが、‥‥次のことは白状しておくのが正直な態度だと思える。すなわち、不可逆的な危機の存在を私が自分自身で確信するに至ったのは、主に人口統計学的分析のお陰であり、実は乳児死亡率というただ一つの変数の驚くべき変遷のお陰と言うことさえできる、ということである。

フランス語新版への序(1990)『最後の転落』27頁(太字・強調は辰井)

ロシアの乳児死亡率は、1971年から1974年までの間に上昇し、その後この単純な指数は公式統計から姿を消す。これは東方において「何かが起こっている」明白な証拠だと、私には思われた。歴史はそこで停止したわけではない。しかし‥‥退行的な形を取り始めたように見えたのである。

人口統計学の変数は、本質的に操作が難しい。それの一貫性と強固さの根源は、生まれた者はやがて死ぬはずであり、長い期間についてみれば、死亡の数は必ず誕生の数に等しいという、人間についての根本的な方程式なのである。正しく解釈されるなら、出生と死亡の指数は、己の姿を隠している社会の真の姿を映し出して見せる強力な現像液となる。価格や量や質という不確かな概念に依拠しなければならない定量分析を基本とする計量経済学とは逆に、人口統計学は、単純で遠慮会釈のない学問分野であって、イデオロギーに対して無頓着である[「左右されない」の意かー辰井注]。

フランス語新版への序(1990)『最後の転落』27-28頁

しかし、なぜ、乳児死亡率なのでしょうか?
トッドは次のように説明しています。

乳児死亡率とは、1歳未満の子供の死亡の頻度を示す指数である。この指数は、全般的社会情勢に極めて敏感に反応する。新生児とは特有の脆弱さを持つ存在であるから、全国規模での経済的、社会的もしくは政治的な混乱は、どんなものであれ必ず、新生児の死亡率に影響を及ぼすのである。食糧供給の困難、暖房や輸送の諸問題、医療分野の無秩序といったものは、どんな社会においても、乳児死亡率に即時・直接の効果をもたらす。

「ソ連、その現在の危機ー死亡率に関する諸現象の分析による記述」(1978)『最後の転落』404頁

(3)ソ連邦における乳児死亡率の変遷

このとき、トッドが実際に見た数値を確認しておきましょう。

トッドは西ヨーロッパ(主にフランス)を比較対象としていますので、ここでもフランスの例と比較します。

まず、フランスの乳児死亡率の推移1830-2020)をご覧ください。

フランスの乳児死亡率(1830-2020)

次はロシア(1870-2020)です。この図が依拠しているデータは肝心の部分でトッドが用いたデータと異なっているのですが、とりあえず、全体の傾向だけを見ていただければ結構です。

乳児死亡率が大きく低下した時期はフランスの方が圧倒的に早いですし、メモリの大きさも違います。

しかし、大まかな傾向としては、共通点が見て取れます。1️⃣不安定で急激な低下の時期を経て、2️⃣当初は急速でその後は漸進的な安定した低下の時期に入る(フランスの場合は第二次世界大戦、ロシアの場合はスターリン時代の終了後)、と。

ところが、1970年代になると、西ヨーロッパとロシアは異なる軌道を描き始めます。

1950年以降、この[乳児死亡の]率は西ヨーロッパの各国において、極めて急速に、全く規則的に低下している。例として、1970年から1976年までのフランスの乳児死亡率の変遷を挙げておこう。

このカーブは、1974年以後、西側世界で猖獗を極めている経済危機の打撃を蒙っていない。鉄のカーテンのこちら側では、経済の混乱はいかなる社会的秩序の崩壊も引き起こさない。失業率の上昇にも拘らず、保険と医療の進歩は続いているのである。

「ソ連、その現在の危機」『最後の転落』404-5頁
「ソ連、その現在の危機」『最後の転落』405頁

ソ連の乳児死亡率の変遷は、これとは非常に異なる。内戦の終結から1970年に至るまで、医療・保険条件の改善は、政体の主要な成功の一つであった。スターリンの錯乱の真っただ中においてさえも、それは変わることがなかった。60年代末には、ソ連邦は、乳児死亡率の低下において西ヨーロッパに追いつこうとしているかに見えた。ところがまさしく1971年から、変遷は逆転する。ソ連の死亡率は、再び上昇し始めるのである。‥‥

1974年以降、ソ連の公式統計部局は、乳児死亡率を公表しなくなった。とはいえ、1975・76年については、0-4歳のグループの死亡率は手に入る。1972・73年に較べて、1975・76年にこの年齢グループの死亡率は、20%上昇していた。

1974年の乳児死亡率は27.7で、ソ連は1964年の水準に逆戻りしてしまった。乳児死亡率のこうした上昇は、ロシア、白ロシア[ベラルーシ]、ウクライナの諸共和国に特有の減少であり、中央アジア諸共和国には見られない。

「ソ連、その現在の危機」『最後の転落』404-406頁

乳児死亡率の22.6(1971年)から27.7(1974)(2.3%から2.8%)への変化というのは、私のような素人には、大した変化ではないように思えます。

しかし、規則的な低下局面にあるはずのソ連で、その数値が上昇に転じたという事実をもって、トッドはソ連邦で、体制崩壊に直結する本質的な混乱が起きていることを察知したわけです。

前項の引用の中で、トッドは「新生児とは特有の脆弱さを持つ存在であるから、全国規模での経済的、社会的もしくは政治的な混乱は、どんなものであれ必ず、新生児の死亡率に影響を及ぼす」と述べていました。

他方で、1970年代のフランスのデータからは、猖獗をきわめた経済危機」であっても、乳児死亡率には影響を与えていないことが確認されています。

トッドは後のインタビューでこうも言っています。

乳児死亡率(1歳未満での死亡率)の再上昇は社会システムの一般的な劣化の証拠なのです。

トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』81頁

なるほど‥‥要するに、こういうことでしょうか。外形上大きな混乱に見えても、社会の基礎(システム)に影響しない一時的な乱調が乳児死亡率に影響を与えることはない。しかし、それが社会の根幹を脅かす性質のものである場合には、必ず、乳児死亡率に反映される。

というわけで、勝手にまとめます。

【おまけ】アメリカの乳児死亡率

昨年(2023年)、ある国の乳児死亡率の上昇が確認され、話題になったのをご存じでしょうか(私はこれを書き始めるまで忘れていました)。そうです。アメリカです。

アメリカはもともと先進国としてはかなり乳児死亡率の高い国です。「なぜ?」と考えて、下のグラフを見ると、黒人や先住民(インディアンなど)の死亡率が著しく高いことがわかります。

https://usafacts.org/articles/what-is-the-us-infant-mortality-rate/

白人とアジア人だけで計算するイギリス程度に落ち着きますので、全体的な高率の背景に人種問題があることは明らかですが、それでも、全体としては着実な低下傾向にありました(↓)。

異変が検知されたのは2022年の数値です。

CDCのデータを元に作成

CDC報告書の執筆者によると、0.2という上昇は統計的に有意な上昇であるそうですが、これが一時的なものなのか、永続的な傾向の始まりなのかはまだ確定できないとされています

新型コロナウィルスとの関係についていうと、2022年はアメリカ全体の死亡率は低下しており、高齢者や妊産婦に関しては、コロナ・パンデミックの影響が弱まったと考えられています。

その中での乳児死亡率の上昇は、やはり気になる動きといえるでしょう。

「他の数字はどうかな?」ということで探ってみると、まず殺人率は低下していました(2023年の低下が大きいですがこの数字は推計です)。

殺人率は自殺率とバーターであることが多いので、自殺率の方も見てみると、自殺率は長期で増加傾向にあり、2022年も有意に上昇していました。

これらの数字はいったい何を示しているのか。乳児死亡率は今後も上昇を続けるのか。引き続き、情勢を見守りましょう。

4 参考文献

  • エマニュエル・トッド(石崎晴己監訳)『最後の転落』(藤原書店、2013年)とくに
    ・「フランス語版新版への序(1990)」27-28頁
    ・「ソ連、その現在の危機ー死亡率に関する諸現象の分析による記述」402-406頁
  • エマニュエル・トッド(堀茂樹訳)『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書、2015年)とくに
    ・「2 ロシアを見くびってはいけない」80-92頁
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移行期危機

 

1 移行期危機とは

移行期危機とは、社会が前近代から近代に移行する際に発生する危機的現象のことを指す用語です。

トッドの理論では、近代化の引き金を引くのは識字化です。男性の半数以上が識字化し、物を考え、社会に参加する主体が増えることで、社会が変わる。

 →ストーンの法則(識字率と民主化革命を結びつける)
 →近代化のモデル

一方で、人間は、男性識字率50%がもたらす急激な変化を、当たり前のようにやり過ごすことができる生物ではありません。

人々は、期待とともに、強い不安を感じる。人々の精神の動揺は、社会を不安定化させます。その社会の不安定化こそが、移行期危機の原因である、というのが、トッドの仮説です。

文化的進歩は、住民を不安定化する。識字率が50%を超えた社会がどんな社会か、具体的に思い描いてみる必要がある。それは、息子たちは読み書きができるが、父親はできない、そうした世界なのだ。全般化された教育は、やがて家族内での権威関係を不安定化することになる。教育水準の上昇に続いて起こる出生調節の普及の方は、これはこれで、男女間の伝統的関係、夫の妻に対する権威を揺るがすことになる。この二つの権威失墜は、二つ組合わさるか否かにかかわらず、社会の全般的な当惑を引き起こし、大抵の場合、政治的権威の過渡的崩壊を引き起こす。そしてそれは多くの人間の死をもたらすことにもなり得るのである。

エマニュエル・トッド  ユセフ・クルバージュ(石崎晴己 訳)『文明の接近 「イスラーム VS 西洋」の虚構』(藤原書店、2008年)59頁。

2 典型的な過程 

移行期危機を経て社会が安定化に至る過程では、通常、上のようなシークエンスが観察されます。

近代化の過程においては、出生率低下は受胎調節(避妊)の普及の証であり、受胎調節の普及は、脱宗教化の証です。

*ただし、出生率低下の促進要因として宗教を重視する見方は、トッドが(主に)ヨーロッパのデータから導いたものであることには注意が必要だと思います。

宗教というファクターは、男性識字化(50%)から出生率低下までに170年を要したドイツ、識字化(50%)に先んじて出生率が低下したフランスの例を効果的に説明します(ヨーロッパの脱宗教化について詳しくはこちらをご覧ください)。

しかし、キリスト教システムが国家に準じるような大きな役割を果たしてきたヨーロッパと同じことが、他の地域(とくに日本やイスラム圏以外のアジア)にも当てはまるかは、まだ充分に検証されているとはいえません。

より普遍性を持たせるなら、「信仰心の喪失」ではなく、「伝統への忠誠心の消失」などと言い換える方が適切かもしれない、と私自身は考えています

3 具体例

識字率50%(男性/女性)出生率低下移行期危機を示す現象とその時期
イギリス1700/18351890第一次世界大戦(74万人が死亡)(1914-1918)
ドイツ 1725/18301895第一次世界大戦-ナチスドイツ(1914-1945)
フランス1830/18601780フランス革命-ナポレオン
(1789-1814)
日本1870/19001920満州事変-第二次世界大戦
(1931-1945)
韓国1895/19401960朴正煕クーデター-光州事件
(1961-1980)
ロシア1900/19201928ロシア革命-スターリン
(1917-1953)
トルコ1932/19691950政治的混乱、テロ、クーデター、イスラム主義(1960-2000)
インドネシア1938/19621970インドネシア大虐殺
(1965-1966)
中国1942/19631970文化大革命
(1966-76)
カンボジア1960以前クメール・ルージュ(大虐殺)
(1975-79)
ルワンダ1961/19801990ルワンダ大虐殺
(1994)
イラン1964/19811985イラン革命(1979)
ネパール1973/19971995毛沢東主義ゲリラ
(1996)

<注釈>

・男性識字率50%と相関する民主化革命は、それ自体が高度に暴力的である場合(フランス革命、ロシア革命)もありますが、そうでない場合(イギリス革命)もあります。

・トッドはイギリス革命の暴力性が低かった理由を、識字率上昇が全国的でなかったことに求めていますが、出生率低下(脱宗教化)がまだだったことに求める仮説も成り立つかもしれません。

・イギリスについては、第一次大戦時の被害の大きさ(ナショナリズムに基づく戦闘意欲の高さを示す)が移行期と関連するというのがトッドの見立てです。

・フランスの識字率上昇はパリ盆地と周辺の都市部だけを取るともっと早いです(1700-1790)

・中国の移行期危機はもっと長く取る方が妥当かもしれません(1950年前後?)

・上記以外のイスラム諸国の数字をいくつか紹介しておきます(男性識字率50%、女性識字率50%、出生率低下)。

シリア194619711985
サウジアラビア195719761985
イラク195920051985
エジプト196019881965
パキスタン197220021990

・いずれも20-24歳の男性・女性の識字率が50%を超えた年です。

4 ユースバルジ論との関係

トッドは人口学の専門家でもあり、近代化に関する彼の理論は、人口学の人口転換の理論を基礎の一つとしています。

多産多死 (出生率・死亡率ともに高い) 前近代
  ↓
死亡率低下 (高出生率+低死亡率→人口増大 「人口爆発」も)
  ↓
出生率低下(やや遅れて出生率が低下。人口増加率が落ち着く)
  ↓
少産少死 (人口が安定) 近代化完了

また、人口学および政治学の仮説に、激しい武力紛争や大量虐殺の原因を人口に占める若年人口割合の高さから説明する「ユースバルジ論」があり、これはトッドの移行期危機の理論とよく似ているので、両者の関係が問題となります(両者の関係についてはこちらでも論じています)。

両者は、それぞれかなり異なるエリア・関心から紡ぎ出されたもので、どちらかがどちらかを参照したという関係にはおそらくありません。つまり、それぞれが独立した理論であって、当人たちの間に、相互影響関係はないと考えられる。

しかし、人口転換論を前提にすると、トッドが重視する「出生率低下」の開始時期は、若年人口が極大化している時期に当たります。

ユースバルジ論は、極端に暴力的な紛争の発生原因に関心を寄せ、歴史家トッドは、近代化という現象の総体を捉えることに注力する。

このような力点の違いはありますが、移行期危機の理論とユースバルジ論は、基本的に同じ現象を捉える理論だといってよいと思います。

5 参考文献

  • Emmanuel Todd, Lineages of Modernity, Polity Press, 2019, p132, p139-152
  • エマニュエル・トッド(萩野文隆訳)『世界の多様性』(藤原書店、2008年)452-459頁
  • エマニュエル・トッド ユセフ・クルバージュ(石崎晴己訳)『文明の接近ー「イスラームVS西洋」の虚構』(藤原書店、2008年)
  • エマニュエル・トッド(石崎晴己訳・解説)『アラブ革命はなぜ起きたか』(藤原書店、2011年)