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トッド入門講座

ヨーロッパのキリスト教
(2)プロテスタンティズムの普及と変形

 

はじめにー教育、家族システム、宗教システム

プロテスタンティズムに対する各地の反応は、基本的に、①文化レベル(識字率)、②家族システム によって決まります。

地上・天上成分の内容と適合条件

プロテスタンティズムは、「聖職者に対する異議申立」であり、「信仰の民主化運動」であり、要するに「自分で聖書読むから神父なんかいらない!」というものですから、一定の識字率は不可欠です。

しかし、識字率が高ければ、どこでもプロテスタンティズムを受容するというわけではありません。

プロテスタンティズムの天上成分である予定説(神の権威への服従、人間の不平等)には、直系家族の価値観がそのまま反映されています。

そのため、家族システムに異なる価値観が刻まれている地域は、聖職者には文句があったとしても、天上成分が障害となり、プロテスタンティズムを受け容れることができないのです。 

ルターの予定説権威不平等適合性
①直系家族権威不平等
②絶対核家族自由非平等
③共同体家族権威平等
④平等主義核家族自由平等×
正統プロテスタンティズムの天上成分との適合性(赤字は不適合部分)

そういうわけで、プロテスタンティズムは、直系家族地域には順調に普及しますが、平等主義核家族地域にははっきり拒絶されます(共同体家族の地域もカトリック側に付いたようです)。

部分一致の絶対核家族地域は、地上での「自由」に心を奪われてプロテスタンティズムを受容しますが、やがて天上の「権威」に耐えられなくなり、教義を修正していく。

トッドの歴史理論は、社会の表層で起きているあらゆる事象は、教育および家族システムが作る集合的心性に規定されていると考えます(下の図のような感じです)。 

トッドがヨーロッパの宗教改革の分析において示して見せたのは、宗教現象も例外ではない、ということに他なりません。

以下では、まず、西ヨーロッパにおけるプロテスタンティズムの受容と拒絶の過程をざっと確認した後、イングランドにおける「変形」の過程を見ていきたいと思います。

プロテスタンティズムの受容と拒絶

(1)第1局面 直系家族への浸透(ドイツ、スイス)

ドイツ(ヴィッテンベルク)から発したプロテスタンティズムは、まず、ドイツおよび隣国スイスに浸透します。この両地域は、識字率、ヴィッテンベルクとの近さ、家族システム(ドイツは全体が直系家族スイス約88%直系家族)が揃い、プロテスタンティズムの浸透を妨げる要素は一つもありません。

スイスではツヴィングリが活躍しました(写真)

 Hans Asper – Winterthur KunstmuseumPortrait of Ulrich Zwingli (1484-1531)

1517   ルターの95ヵ条
1520  ルター 教皇の破門状を焼く
1523-31 ドイツ:北部諸侯と帝国都市の3分の2が改革派に
1523-29 スイス:チューリヒ、ベルン、バーゼルが改革派に
1524-25 ドイツ農民戦争

プロテスタンティズムは、識字率の高い直系家族地域に順調に浸透

(2)第2局面 続・直系家族への浸透(北欧)

プロテスタンティズムの波は、次に、北欧に向かいます。中核はスウェーデンとデンマークです。

スウェーデン79%直系家族なので、プロテスタンティズムの受容能力において理想的です。デンマークの直系家族は13%に過ぎませんが、残りの人口は絶対核家族(自由と非平等)であり、天上の「不平等」は受け入れ可能です。

この時点では、北欧の識字率は決して高くありませんでしたが、「ハンザ同盟によってドイツにぴったりと密着した地域である」(138頁)こと、そして家族システムの価値観が合致している(または「矛盾しない」)ことによってプロテスタンティズムが浸透する。すると今度は、プロテスタンティズムが、スウェーデンを識字先進国に変えていくのです(こちらの表では「適応反応」と表現しました)。

*なお、プロテスタンティズムはノルウェー(直系家族率50%)、フィンランド(25%)にも浸透していますが、トッドはこれを「デンマークとスウェーデンに遠隔誘導されたもの」としつつ、当時の両国の人口の少なさから「自律性を持った宗教現象とみなすことはできない」としています。

1527-1544 スウェーデン 内戦を経てプロテスタント国家に
1530-1539 デンマーク 内戦を経てプロテスタント国家に

プロテスタンティズムは、ドイツに近い直系家族地域に浸透し、識字率を上昇させる

3)第3局面 カルヴァン主義の展開

第3局面で、プロテスタンティズムは西へ進みます。

ジュネーヴを席巻したカルヴァン主義は、フランドル、アルトワ(フランス北部)、アルザスでかなり有力になります。しかし、パリ盆地にはどうしても浸透できない。パリ盆地は平等主義核家族地域です(下の地図のグレーの部分です)。

*なお、カルヴァン派も予定説であることに違いはないので、ここではルター派・カルヴァン派を「正統プロテスタンティズム」として一緒くたに扱います。

そこでパリ盆地を迂回し、スイスからフランス南部のオック語地域(オクシタニア)に根を下ろす。この地域は80%直系家族です(下の地図の青で囲んだ部分がそのフランス国内の部分)。

『不均衡という病』67頁

他方で、地中海沿岸のラングドックプロヴァンス(右下のグレーの部分)には定着しない。これらの地域は共同体家族平等主義核家族(いずれも「平等」)です。この地域は、パリ盆地を含む北部フランスと並んで、カトリック同盟の要塞地帯になっていきます。

ネーデルラント(直系家族率45%)、スコットランド(50%)、イングランド(ウェールズと合わせて25%)は、プロテスタンティズムを受け入れます。しかし、ネーデルラントイングランドでは多数を占める絶対核家族が、やがて、教義の変形をもたらすことになるのです。

*どうも、地上成分における条件の不一致は適応反応(自らを変える)を呼び、天上成分における不一致は教義の修正(教義の方を変える)をもたらすようです。家族システムの価値観の強固さを示す例証の一つといえそうです。

1534 イギリス国教会の成立
1536 カルヴァン、バーゼルで「キリスト教綱要」を出版 
ジュネーヴの宗教改革に協力 市当局に追放される
1541 ジュネーヴに戻り宗教改革を指導
1559  フランス南部で初の改革宗教会議
1559-1560 スコットランド 内戦を経てカルヴァン派教会樹立
1559-1572 イングランド カルヴァン派に転換
1566 ネーデルラント プロテスタントによる対スペイン民衆蜂起

平等主義核家族地域はプロテスタンティズムを拒絶する

絶対核家族地域はプロテスタンティズムを受け容れるが、やがて天上成分を変形させる

プロテスタンティズムの変形
—絶対核家族の「自由」への適応

(1)アルミニウス説の登場

プロテスタンティズムの変形は、1603年から1609年までライデン大学の神学教授を務めたアルミニウスが、カルヴァン派の正統教義である予定説に疑問を投げかけたことに始まります。

 

Portrait of Jacobus Arminius;

アルミニウスの死後、彼を支持するネーデルラントの牧師たちがまとめた「建白書」(Remonstrantie)によると、その立場は次のようなものでした。

(1)堕落後の人間はすべて,全的に腐敗しており,神の恵みを離れて善を行う力はない.
(2)神は誰が信じるか,誰が信じないかをあらかじめ知っており,その予知によって人を救いに予定している.
(3)誰でも悔い改めて信じるなら,救われることができるように,キリストの贖いはすべての人を対象としている.
(4)恵みは主導権をとって,力を与えて,人を悔い改めと信仰とに導くが,不可抗力的に人に圧力をかけることはない.すなわち,恵みは先行するが強要しない.
(5)信仰者であっても,恵みの働きかけにあえて耳を閉すことによって,救われた状態から転落することもあり得る.救いはキリストにあって耐え忍ぶ者に保証される.
   

『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991[藤本満]

アルミニウスは、救済における人間の自由意志の力を完全に否定するルターやカルヴァンを退け、神の「予定」の存在は認めつつ、その決定の力を弱め、自由意志に基づく人間の行いによる救済(および転落)の可能性を認める説を唱えたわけです。

(2)アルミニウス説のイデオロギー

予定説を緩和し、自由意志の理想と本人の行いによる救済の可能性を再導入することで、アルミニウスの「天上成分」は、カトリックのそれに限りなく近づきます。

しかし、プロテスタントの牧師であるアルミニウスにとって、「地上」における自由と平等(ローマ教会、聖職者の権威の否定)は大前提です。

その結果、アルミニウス説は、地上と天上の両方で自由を求める、もっとも急進的な自由主義に到達するのです。

「ルター派あるいはカルヴァン派の古典的プロテスタンティズムは、神への服従と教会に対する自由とを望んだ。対抗宗教改革のカトリシズムは、神の前での自由と教会への服従を要求した。ピューリタン的アルミニウス主義は、神に対しての、かつ教会に対しての人間の自由を主張する。この自由主義的急進主義は、ネーデルラントもさることながら、とりわけイングランドにおいて、まず初めに諸宗派の乱立を招来するが、ほどなくして宗教的寛容へと至ることになるのである。」

『新ヨーロッパ大全 I』150頁
正統プロテスタントカトリックアルミニウス説
地上成分自由と平等
・聖職者の権威を否定
・「われわれは皆聖職者だ」
権威と不平等
・聖職者の権威を肯定
・聖職身分と俗人身分の区別を認める
自由と平等
(正統プロテスタントと同じ)
天上成分権威と不平等
・救済を決めるのは神である
・人間は救済される者と劫罰に処される者に分かれる
自由と平等
・洗礼を受けた全ての者は原罪から洗い浄められる(救済の機会平等)
・救済か劫罰かは本人の行いによる
自由(と非平等)
・予定説を緩和
・本人の行いによる救済の可能性を認める

(3)アルミニウス説の定着と勝利

キリスト教信仰における急進的自由主義であるアルミニウス説のプロテスタンティズムは、「宗教的形而上学と家族構造の連合の仮説からすればまことに論理的に」、ヨーロッパの絶対核家族地域に現れ、定着していきます。

ネーデルラントでは、アルミニウス派は、一度は公権力により追放されますが(1618-19のドルドレヒト宗教会議で断罪)1625年には布教を許されます。

ライデンで生まれたアルミニウス主義は、アムステルダムを含む西部地域に根を下ろし、「非常に少数派ではあるが‥‥ネーデルラント・プロテスタンティズムに‥‥カルヴァン派やルター派から極めてかけ離れた色彩」を付け加えていくことになる。

なお、ネーデルラント絶対核家族率は55%ですが、ライデン、アムステルダムのある西部地域はまさにその中心地域です。

一方、全土の70%絶対核家族が占めるイングランドでは、アルミニウス派は、単に存在を許されるというだけでなく、全面的に勝利を収めることになっていきます。

イングランドについては、「国教会との関係は?」など、整理しなければならないことが多いので、回を改めてお送りします。

絶対核家族地域には、地上・天上の自由を説く急進的自由主義(アルミニウス主義)のプロテスタンティズムが広がる