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トッド入門講座

アメリカ I
-差別と教育とデモクラシー(下)-

 

アメリカ社会に何が起きたのか?

前回からの続きです。

アメリカ社会における「人種主義のその後」について、
ここまで確認できたことをまとめます。

  • 白人非エリート層の人種感情は消えなかった。
  • 白人非エリート層の反黒人感情には、エリートとの敵対関係を転嫁した面があった。
  • 政治家は白人非エリート層の反黒人感情を煽り、利用し、新自由主義的政策を実現した。
  • 政治家は黒人を刑務所に大量収監して「新たな奴隷制」ともいえる状況を作った。

以上の事実は、アメリカ社会の心性に何が起きたことを表しているのでしょうか?

今回はその分析を行います。

*以下の分析は、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』に書かれている内容を最大限分かりやすく咀嚼した(つもりの)ものです。私の独自解釈ではありません。

①三段論法 ver.1 は高等教育組の間で作用した可能性がある。

「平等」崩壊の三段論法 ver.1

① 白人は「劣った者=黒人」ではないゆえに平等である。
② 黒人は「劣った者」ではない(黒人と白人は平等である)。
③ ∴ 白人は平等ではない。

上記の三段論法の中の「②黒人と白人は平等である」というメンタリティを実際に獲得した可能性があるのは、高等教育組だけです。

したがって、高等教育組においては、三段論法ver.1が機能し、また「デモクラシー衰退の公式」(↓)が働いた可能性があるといえます。

デモクラシー衰退の公式

平等の不在+(教育の不平等+黒人の包摂による白人の平等の崩壊)
=極端な不平等

*平等指数

デモクラシー成立の公式と比較して「平等指数」を算出すると、ここで起きたメンタリティの変化が分かりやすくなるかもしれません。やってみます。

成立平等の不在(0)教育の平等
(1)
黒人排除による白人の平等
(1)
衰退平等の不在(0)教育の階層化(-1)黒人包摂による白人の平等の崩壊(0)-1

絶対核家族ないし原初的核家族の「平等の不在」は単に「平等に無関心」な状態なので0点です。

0点から出発したアメリカは、教育の平等(1点)、黒人排除による白人の平等(1点)を加えて平等指数2点を達成し、全員参加型デモクラシーを成立させました。

高等教育の進展は階層化という不平等の下意識をもたらすため-1点、他方「黒人包摂による白人の平等の崩壊」は「平等」から「無関心」への回帰を意味するので0点で算出します。 

高等教育の進展と黒人包摂による白人の平等の崩壊がダブルパンチとなって、高等教育組の「平等」メンタリティは一挙に3点のマイナスとなり+2点から-1点に落ち込んだわけです。

新自由主義政策を推し進め、極端な「格差と分断」を実現させたのは高等教育組のエリートですから、彼らのメンタリティーが「デモクラシー衰退の公式」に支配されていたと考えるのはそれなりに合理的といえるでしょう。

エリート層は、①教育の平等に基づくメンタリティ、②黒人排除による白人の平等メンタリティの2つを失い、高等教育の進展に基づく階層化意識に支配されるようになった。

②エリートにおける三段論法ver.2の浸透は白人非エリート層にとって脅威となった可能性がある。

一方、白人非エリート層には「黒人と白人は平等である」というメンタリティーは浸透しませんでした。

しかし、黒人だけでなくエリートの白人が積極的に人種差別撤廃に乗り出したことは、白人非エリート層の間につぎのような不安や恐怖をかき立てたかもしれません。

白人非エリート層の不安

①自分たちは「黒人=劣った者」ではない者として平等であり、然るべき社会的・経済的地位を得るはずだった。
②エリートは「黒人は劣った者ではない」(黒人と白人は平等だ)という社会を作ろうとしている。
③自分たちが得るはずだった社会的・経済的地位は黒人に奪われ、自分たちは底辺に追われるかもしれない。

白人非エリート層は、エリート層と黒人が主導する人種差別撤廃運動によって、「平等な白人」としての地位を失うことへの不安、社会的・経済的地位を奪われる恐怖を抱いた

③白人非エリート層の人種感情を利用した新自由主義政策の推進は、白人エリート層の中で「白人の平等」が崩壊したことの表れである。

政治家(基本的にエリート層です)の当該行為は、倫理的にみると、白人非エリート層に対する裏切りであり、同時に黒人に対する裏切りでもあります。ここではまず前者を論じます。

このとき(というか、現在に至るまで)、白人エリート層は、非エリート層の反黒人感情を利用して、本来なら敵対するはずの彼らを味方につけ、非エリートの利益に反する政策を追い求めました。

白人エリート層にこうした行為をなさしめた、そのメンタリティの基礎にあったのは、①で示したメンタリティ、とりわけ高等教育の進展による階層化意識(②)と黒人の包摂による「白人の平等」の崩壊(③)であったと考えられます。

エリートたちはもう、労働者階級の白人に対して、同じ仲間、「われら人民」という感覚を持てなくなってしまったのです。

では、黒人に対する「裏切り」を許したものは何だったのか。次項でまず、もっとも極端な「裏切り」事例、「黒人の大量収監」とは何だったのかを考えた後、白人エリートの内面を探ります。

④「新たな奴隷制」は白人層の不安に対するセラピーであった可能性がある。

政権による「大量収監」を理解する鍵となるのは、②で検討した白人非エリート層の不安です。

1980年から2015年の間、アメリカは、不平等と雇用の不安定化が急速かつ着実に進行するのを経験した。人々は病や老いに対処できないのではないかという潜在的な不安を経験し、その不安は社会的地位が低ければ低いほど大きかった。監獄の拡大は、こうした不安を、収監の不安という別の不安によって治癒しようとするものだった。新自由主義の前進は、自然でもなければ、容易な経験でもなかったのだ。‥‥しかし、なぜ黒人がターゲットとなったのだろうか?‥‥ われわれは、人種をターゲットとした抑圧が、白人の平等主義に邪悪な変容をもたらしたことを心に刻む必要がある。白人の平等は、教育へのアクセスと所得配分からは消え失せたが、今なおネガティブな形でそこにある。いま白人が共有するもの、それは、そう頻繁には収監されないという特権なのだ。

下・96頁、英語版240頁

白人非エリート層は不安を感じていた。彼らは、自分たちは「劣った者=黒人」ではないがゆえに平等であり、価値があり、希望があるという、慣れ親しんだ考え方に戻りたがっていた。

彼らの不安を治癒するために、もっとも有効な方法の一つは、「黒人の地位を体系的におとしめる」ことであったでしょう。

そこで取られた策が、黒人の中の教育水準の低い層をターゲットとした大量収監であったと、トッドはそのように述べているのです。

トッドは、共和党や民主党の政治家が正気の頭でこのような解決策を見出したと考えているわけではありません。

彼は、大量収監の文脈として、この時期のアメリカ社会がある種の移行期にあって、社会全体が不安と混乱に陥っていた点を強調しています。

ここまで「エリート/非エリート」(高等教育組/初等・中等教育組)という二分法を採用してきましたが、1980年代以降、この区分に変化が生じたことを確認する必要があるでしょう。

1970年代には、将来に不安を抱いたのは労働者だけであったかもしれません。しかし、1980年代から顕著になった市場原理主義の「超格差社会」では、大卒組を含め、ごく一部の超エリート以外のほぼすべての人にこの不安が拡大したと考えられます。

トッドの解釈では、アメリカ社会における「新たな奴隷制」の登場は、こうした社会全体の心的混乱の表現なのです。

下のグラフをご覧いただくと(トッドが引用するこの論文からの転載です)、ちょうどこの頃から、アメリカの白人の死亡率が顕著に上昇していることがわかります。

*トッドは「このような死亡率上昇は、世界中の他の先進社会にも類例がない」(下・103頁)としていますが、その通りのようです。

All-cause mortality, ages 45–54 for US White non-Hispanics (USW), US Hispanics (USH), and six comparison countries: France (FRA), Germany (GER), the United Kingdom (UK), Canada (CAN), Australia (AUS), and Sweden (SWE).

さらに次のグラフをご覧いただくと、主な死亡原因が「明らかに社会心理的なもの」であることが分かります(上昇している3項目は上から薬物中毒、自殺、慢性肝臓疾患)。 

Mortality by cause, white non-Hispanics ages 45–54.

ドナルド・トランプが共和党の大統領候補に選出され、2016年には大統領に当選するという事態を説明すると思われるのは、まさしくこの成人死亡率の上昇である。これは、1970-1974年のロシアにおける乳児死亡率の上昇が私に旧ソ連の崩壊を予見させたのと同じ性質の事象といえる。

下・103-104頁、英語版 243頁

なるほど‥‥。しかし、まだ疑問は残ります。

社会全体が不安に包まれたとはいえ、エリートたちは、「黒人は劣っている」という観念を逃れつつあったはずです。

彼らはいったい、刑務所送りになり、二度と社会に復帰できないかもしれない黒人たちのことをどう考えていたのでしょうか。

⑤高等教育組のエリートの間に、別種の「三段論法」が働いた可能性がある。

おそらく次のように考えてみることが許されるだろう。高等教育の進展によって平等の感覚が揺さぶられた白人の世界で、「黒人の劣等性」がその機能を失ったのではないかと。

下・78頁 英語版228頁

ひえ〜、怖い!
怖いけど説明します。

アメリカ社会において、「黒人の劣等性」の観念は「白人の平等」を基礎付ける機能を担っていました。

しかし、高等教育組のエリートはもう「白人の平等」を信じていませんでしたし、非エリート層とは違って「白人の平等」にしがみつく必要もなかった。彼らにとって「白人の平等」は用済みの、守る価値のない観念となったのです。

「黒人の劣等性」は「白人の平等」を基礎付けるための観念なので、後者が不要になったことで、前者も不要になりました。

「黒人の劣等性」が放逐されたなら「平等」に近づくか。

原初的(ないし絶対)核家族の場合、そのようには行きません。彼らにおける「平等の不在」とは平等への無関心を意味するからです。

「関心がない」。つまり、「どっちだっていい」。

そういうわけで、「白人の平等」の根拠としての機能を失った「黒人の劣等性」は、無関心の海を漂います。もはや、黒人が劣等であろうがなかろうが、平等であろうがなかろうが、どっちだっていいのです。

高等教育組に作用したと見られる「別種の三段論法」。あえて言葉にするなら、このようになるでしょう。

「平等」崩壊の三段論法 ver.2

① 白人が平等である限り、黒人も平等でなければならない。

② 白人は平等ではない。

③ ∴ 黒人が平等でなくても問題ではない。

なお、この三段論法 ver.2は、一見、①の三段論法 ver.1およびデモクラシー衰退の公式と矛盾しそうですが、そうではありません。

三段論法 ver.1を次のように読み替えていただくと、両者が両立することが分かります。

 ver.1 ②「黒人と白人は平等である」
         ↓
     「黒人と白人は平等に平等でない」

そして、デモクラシー衰退の法則における「黒人の包摂」とは、「平等な市民」としての包摂ではなく、「平等に平等でない市民」としての包摂を意味しているのです。      

超格差社会へのシークエンス

前回から取り組んでいるこちらの謎。

「教育の平等の崩壊→格差の拡大というメカニズムを先進国が共有する中で、アメリカにおける「格差と分断」が飛び抜けて急速かつ極端なものとなったのはなぜか?」

いよいよ解明できるときがやってきました。

順を追っていきましょう。 

  1. 平等不在のアメリカ社会におけるデモクラシー成立の基礎は、
    ①教育の平等②白人の平等を基礎付ける人種主義 にあった。 
  2. 高等教育の進展で①が崩壊した。
  3. 2の結果、白人の平等を信じなくなった高等教育組の間で人種主義が消失に向かった結果、エリートの心性は ①教育による階層化、②平等への無関心 の2つに支配された。
  4. 「黒人の劣等性」が不要になったエリートが人種差別撤廃政策を推進する一方、「白人の平等を基礎付ける人種主義」の消失は非エリート不安にした。
  5. 教育による階層化を内面化し、かつ、平等に無関心になったエリートは、非エリートの人種感情を煽って階級闘争を回避しつつ、社会保障を切り詰め「上」の所得の無限定な上昇を可能にする新自由主義的政策を追求した。
  6. 過度の自由競争と格差の増大で社会全体が不安定化した。
  7. 社会不安の緩和のため、大量収監によって、下層の黒人の地位が体系的に下げられた
  8. 上下に向けて際限のない格差の拡大が可能になった。 

デモクラシー成立の公式」に対応させて公式を作るなら、次のようになるでしょう。

デモクラシー粉砕の公式

平等の不在+(教育の不平等+人種感情の利用)
=「急速で極端な」格差・分断によるデモクラシーの粉砕

*「白人の平等」が崩壊した結果、平等への無関心が蔓延した点は、もともとの「平等の不在」に回収されたものとして表現しています。ちなみに「粉砕」の平等指数は、(0)+(-1)+(-1)=(-2)かな、と思います。

アメリカにおける「飛び抜けて急速かつ極端な」格差と分断は、
(1)エリート層を中心に
①教育に基づく階層化、②平等への無関心 の心性が蔓延したこと
(2)人種感情が

①敵意をかわす楯、②不安を癒すセラピー として機能したこと
で可能になった

なぜ人種感情なのか?
ー原始の民のデモクラシー

アメリカのデモクラシーは、成立に際して、人種感情を「白人の平等」構築のために役立てました。

その同じ人種感情が、衰退のときには、際限のない格差増大への怒りをかわし、不安に対処するために用いられた。

どうも、アメリカ社会は、人種感情を調整弁のように利用することで、そのときどきの(教育の次元が命じる)モードに応じて最大限「急速かつ極端」に進行する仕組みになっているようです。

しかし、なぜ人種感情なのでしょうか?

トッドは、アメリカが、原始のホモ・サピエンスにもっとも近いシステム(原初的核家族に近い絶対核家族)を持つ社会であることに、その理由を求めています。

James G. Fergusonの指摘によれば、人間の集団は、「われわれ/彼ら」という集団相互の対置においてのみ存在しうる。

下・27頁、英語版 199頁

*日本語版には「アダム・ファーガソン」とありますが、トッドがここで哲学者を引き合いに出すとは思えないので、James G. Ferguson(人類学者)とする英語版に従います。

‥‥歴史的に特定できる最古の人間集団(ゲルマン人、ローマ人その他多くの民族)の行動からは、彼らが種族としての強固なアイデンティティと、征服した民族に属する個人や集団を統合、消化、同化する能力を併せ持っていることが感じ取れる。‥‥アメリカにおける、オープンさと人種主義の併存、ヨーロッパ系を同化する一方先住民や黒人は拒絶するというその在り方は、おそらく、貪欲な同化吸収者であると同時に差別主義者でもあった原初のホモ・サピエンスモデルが現代の大陸に完全復活したにすぎないのだ。

下・27-28頁、英語版 199頁

原初のホモ・サピエンスは征服した民族を同化吸収する一方、異民族を差別・排斥することで集団としての統合性を保った。アメリカ社会の開放性と人種主義はその再現である

アメリカ II に向けて

正直、解明できてこれほど嬉しくない謎も珍しいです。

しかし、「平等不在」のアメリカにおける全員参加型デモクラシーの成立と衰退というテーマについては、私は概ね納得しました。

皆さんはいかがでしょうか。ご感想などありましたらお気軽にお寄せ下さい(反応するかどうかは分かりません)。

ーーー

アメリカに関する探究はまだ続きます。

予告編のとおり、家族システムの観点から見たとき、アメリカという国には、2つの謎があります。

1つは「平等不在」のアメリカがなぜ全員参加型のデモクラシーを成立させたのか、という謎で、こちらは「粉砕」までの過程を含めて、トッドが見事に解明してくれました。

残るのは、「権威不在」のアメリカになぜ国家の形成が可能であったのか、という謎です。

「平等」を中核としたトッドの分析は、社会・経済的事象の説明が中心でしたが、「権威」の分析では、アメリカ社会の政治や外交に焦点が当たることになるでしょう。


「アメリカ II」(satokotatsui.com)でお目にかかれますように。

今日のまとめ

  • アメリカにおける「急速かつ極端な」格差と分断は以下の2つの要素により可能になった。
  • エリート層を中心に、①教育に基づく階層化、②平等への無関心 のメンタリティが蔓延したこと(1)
  • 人種感情が、①敵意をかわす楯、②不安を癒すセラピー として機能したこと(2)。
  • 原初のホモ・サピエンスは征服した民族を同化吸収する一方、異民族を差別・排斥することで集団としての統合性を保った。アメリカ社会の開放性と人種主義はその再現である。