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トッド入門講座

家族システムの変遷
-国家とイデオロギーの世界史-
(6・完)世界の未来 

 

目次

内婚制共同体家族の近代化

(1)アラブの移行期危機

Celebrations in Tahrir Square after Omar Soliman’s statement that concerns Mubarak’s resignation. February 11, 2011 – 10:15 PM

中東には、イランやトルコのように、識字化に始まる近代化の過程をほぼ完了したと見られる地域もありますが、アラブ圏の多くはまだその最中にあります。

したがって、メソ紀53世紀(20世紀)後半から続くイスラム諸国、アラブ世界の危機―宗教的原理主義の台頭や各種暴力―は、世界のどの地域の近代化にも等しく付随した「移行期危機」の現れと見ることが可能です。

「今日イスラーム圏を揺るがしている暴力を説明するために、イスラーム固有の本質などに思いを巡らす必要はいささかもない。イスラーム圏は混乱のただ中にあるが、それは識字化の進展と出生調節の一般化に結びつく心性の革命の衝撃にさらされているからに他ならない。‥‥

 イスラーム諸国の場合もルワンダやネパールの場合も、根本的な誤りは、実はイデオロギー的ないし宗教的危機を退行現象と考えることにあるのだ。

 実際は逆に、そのどれもが移行期危機なのであって、その間、近代化が住民を混乱に陥れ、政治体制を不安定化するのである。」

『文明の接近』69-70頁

20世紀後半から続くアラブ世界の危機(宗教的原理主義や暴力)は移行期危機の現れであり、近代化の正常な過程である

(2)移行過程の困難

社会の「識字化=近代化」は、家族システムの進化を逆行するように、核家族→直系家族→共同体家族の順で継起しました(例外はあります)。そして、移行期危機の強度は後のものほど高い傾向にあります。

変化への耐性は、システムが柔軟かつ単純であるほど高いと考えられますので、もっとも進化したシステムである共同体家族にとって、近代化がより困難な経験であることは理解できます。

外婚制共同体家族の近代化は、激烈な移行期危機を伴う一方で、「伝統的家族の解体→近代国家の生成」のプロセスは迅速でした。こちらでご説明したように、構造的に不安定なシステムである外婚制共同体家族は、近代化に際して(現実の家族の中では)爆発的に解体することとなり、その代替物として、近代国家(共産主義的な権力集中型国家)が直ちに必要となったからです。

この点について、トッドは、外婚制共同体家族の「厳しく、暴力的」な性格が伝統的家族の解体を促進したの反対に、内婚制共同体家族が「温かく安心できるもの」であることが、上記のプロセスを遅らせ、困難なものにするであろうことを指摘しています。

「近代化はアラブとイランの伝統的家族を揺るがせた。おそらくは最後には破壊するであろう。しかしこの動きは、解放者的として受け入れられるいかなる理由も持たないのである。というのもこの地の住民は、自分たちの家族システムを愛しており、保護者的で自然なものとしてそれを経験していたからである。‥‥アラブ諸国やイランでは、移行期危機はとりわけ、激しい過去への執着を現出した。これは愛するシステムにしがみつきたいという欲求に他ならない。」

『文明の接近』97-98頁

それでも、「危機」そのものは、いずれは収束を迎えるはずです。しかし、「危機」を乗り越えた後、彼らがどこに向かい、世界をどのような場所に変えていくのかは、現在のところ、かなり不透明であるように思えます。

内婚制共同体家族の近代化はより困難な過程であることが推測されるが、「危機」はいずれは収束する

(3)内婚制共同体家族の「国民国家」?

これまでのところ、近代化の過程を(ほぼ)完了したと見られる地域では、下図のような形で、それぞれの家族システム(=イデオロギー)に対応した国家が、一応「国民国家」の範囲に収まる形で形成されています。

内婚制共同体家族も、これと同じように、「柔軟な専制」の仕組みを持つ国民国家を形成することになるのでしょうか。

正直、ちょっと想像しにくいですね。

絶対核家族自由主義の国民国家
平等核家族自由・平等を謳う国民国家
直系家族秩序志向の強い国民国家
外婚制共同体家族権力集中型の国民国家
内婚制共同体家族

内婚制共同体家族の「国民国家」適性について、トッドは次のように指摘しています。

中東は、国家が弱い地域です。国家建設が困難であることが、アラブ世界の本質的特徴なのです。アラブ世界の家族システム、つまり内婚制共同体家族はまさに「アンチ国家」です。

 内婚制共同体家族の社会システムでは、兄弟間の連帯が軸になり、実質的に、父権的部族社会が構成されます。曲がりなりにも国家が形成する場合でも、フセインのイラクのように独裁国家になってしまうのです。‥‥


 要するに、ある範囲の地域を統一し、その中で人々を平等に扱うのが本来の国家ですが、アラブ世界では、そうした中央集権的な国家を生み出そうとしてもなかなかうまくいかないのです。そういう状況のなかで、アメリカ軍がイラクに侵攻し、かろうじて「国家」として残っていた要素まで破壊してしまいました。その結果、「国家なき空白地帯」が生まれ、そこに「イスラム国」が居座ったのは、皆さんがご存知の通りです。」

『問題は英国ではない、EUなのだ』145-147頁

『家族システムの起源』では次のように整理されています(大体同じですが)。

「官僚的組織編成というものは、己れの支配空間の住人全てを非人格的かつ同等な態度で扱わなくてはならない。中央部的アラブ圏では、兄弟とイトコたちの横の連帯が、官僚機構の台頭に抵抗し、その中に入り込み、浸透し、遂には麻痺させてしまう。権力は、そこではしばしば、一つのクランの所有物、もしくは親族によって構造化された少数派的集団の所有物にすぎない。サダム・フセインのイラクにおけるティクリートのスンニ派、あるいはアサド一族の支配するシリアを統御するアラウィー派のケースというのは、まさにそうしたものであった。」

起源・下 679頁

兄弟間の横の連帯を軸とする内婚制共同体家族は
国民国家の形成に適していない

(4)トルコとイラン 

トルコとイランがあるじゃないか、とお思いの方がおられるかもしれません。たしかに、両者が安定した国家を形成していることは間違いありません。

しかし、この二つの事例を、内婚制共同体家族の国家形成の事例に数えてよいかどうか。なぜかというと、トッドの研究は、トルコ、イランの家族システムがアラブ地域と異なっていることを示しているからです。

まずトルコの場合、トルコの西部と南部には「ローマ帝国末期の、次いでビザンツ帝国時代のギリシャ・ローマ的家族の残像」(「起源I」下678頁)と見られる、核家族的傾向の強い地域があり、それ以外の内婚制共同体家族地域でも、内婚率は比較的低い。

また、イランの中央部には世帯人数の少ない核家族的地域があり、北部には女性の地位が相対的に高い地域がある。

要するに、トルコとイランは、中東においては異例に「核家族的」な地域であり、そのことが「国民国家」の形成を可能にした要因であったと考えられるのです。

トルコとイランは中東の中では異例に「核家族的」な地域

(5)「国民国家」以外の可能性を探る

トッドは、内婚制共同体家族の「国家」(国民国家)形成能力に疑問を呈する一方で、アラブ世界の「近代化」には一切の疑問の余地を否定しています。

アラブ世界は今まさに近代化の過程をくぐり抜けている最中であり、いずれはそれを完了する。そのことは、出生率低下という事実に明確に表れている、と。

しかし、「国民国家」の形成が困難であるとすると、彼らに待っているのはどのような将来なのか。

私の知る限り、トッドはその展望を語ったことはありません。でも、ここまで、家族システムと国家、イデオロギーの歴史を追ってきた私たちには、うっすら、浮かんで見えてくるものがあるような気がしませんか。

この先はトッドの言葉がないので、妄想を広げてみましょう。

国民国家とは異なる新たな秩序の形成?

世界の未来

(1)世界史の流れ

この講座で描いてきた世界史は、大体こんな感じで整理できると思います。

原初的核家族の時代(7万年前- ):人間が「社会」の中に住み始める。世界にスペースは無限にあるので、規律は必要ない。

○直系家族の誕生(メソ紀元(前3300)年-):中心部が「満員の世界」の時代を迎え、縦型の秩序が必要になる。文字と国家が生まれる。

○共同体家族の誕生と拡大(メソ紀1000(前2300)年-):「帝国」が生まれ、多民族、多言語、多文化の中心部の平和と安定に貢献する。一方で「帝国」はあまり長続きしない。

○共同体家族の強化(メソ紀2400(前900)年-):中心部で女性の地位が顕著に低下。版図は広がるが、やはり長続きしない。

○内婚制共同体家族の時代(メソ紀3800?-5000(後500?-1700)年):「温かさ」「柔軟さ」の導入により長続きする「帝国」が可能に。オスマン帝国500年の平和に結実。

○純粋核家族ver.2(識字化した核家族)の勃興(メソ紀5000年(1700)年-):辺境で小規模に国家を営んでいた純粋核家族がいち早く近代化。直系家族がこれに続く。技術力、経済力、軍事力を高め、中央部との勢力逆転を視野に入れる。

○純粋核家族ver.2の勝利(メソ紀52-53(19-20)世紀):オスマン帝国滅亡。純粋核家族の覇権が定まり、世界全体が純粋核家族サイズ(国民国家)への組み替えを要請される。内婚制共同体家族地域は大混乱。比較的早期に近代化を果たした外婚性共同体家族ver.2が持ちこたえる。

○純粋核家族ver.2 の覇権(メソ紀53-54(20-21)世紀):「反権威」イデオロギーを体現する純粋核家族ver.2 が覇権を確立。共同体家族の「権威」を敵視し、世界を敵と味方に二分する。外婚制共同体家族ver.2は受けて立ち、正面から対立。直系家族ver.2は自身の「権威」をひた隠しにして純粋核家族に追随する。

○内婚制共同体家族ver.2の完成(メソ紀54-55(21-22)世紀): ?????  

(2)内婚制共同体家族の「未来」

内婚制共同体家族ver.2が完成したとき、どんな世界がもたらされるのか。現在の中東情勢をよく知る人ほど、あまり楽観的にはなれないかもしれません。

しかし、バルカンについて述べたのと同様に、中東の現在の苦境には、かなり明確な理由があるといえます。

内婚制共同体家族の困難は、おそらく、近代化の準備が整う前に「帝国」を奪われ、純粋核家族サイズの国家をあてがわれた点にあるのです。

「核家族への回帰」という事態は、進化した家族システムを基盤に民族や言語や宗教の違いを克服してきた彼らにとっては、5000年の進歩を否定され、その以前にタイムスリップさせられることに他なりません。

西側の先進国の干渉によって手足を縛られ、5000年前の「振り出し」に戻され、想定ルート上にたくさんの地雷を仕掛けられたところで、近代への「移行期」が始まったのだとしたら、それが、困難なものにならないはずはありません。

とはいえ、近代化の過程は着実に進展しており、近い将来に完了することが確実です。歴史的に関係の深いアフリカ大陸を含むアラブ文化圏の大きな人口が、教育水準を上げ、心性の一定の安定を見たときに、何が起こるのか。

オスマン帝国について教えて下さった林佳代子先生は、旧オスマン帝国地域の現在の混迷を前に、以下のように書かれました。

「「民族の時代」を生きる現代のバルカン、アナトリア、中東の人々が、オスマン帝国の末裔である事実は揺るがない。もしも、過去の記憶に、「未来」をつくり出す力が本当にあるとするならば、バルカン、アナトリア、中東の人々が、かつてオスマン帝国を共有した記憶は、意味のないことではないだろう。その時間は500年にも及ぶ。その事実がバルカン、アナトリア、中東の人々の共通の記憶として、誇りを持って語られる時代の到来を願いたい。」

『オスマン帝国500年の平和』375-376頁

まるで祈りのような言葉です。いろいろ教えていただいたお礼を込めて、もし機会があるなら、次のようにお伝えしたい。

「先生、大丈夫です。彼らは内婚制共同体家族システムを共有していますから!」

彼らが意識の上でオスマン帝国を否定しようがしまいが、彼らの無意識には内婚制共同体家族の心性が刻まれています。したがって、彼らが近代化の過程をくぐり抜けた暁には、彼らの一挙手一投足が、しかるべき「未来」を作り出すに違いない。

その萌芽が、もしかしたら、アフガニスタンの若者たちの手で、今まさに作られているということも、考えられないことではないのです。

現在どれほどの苦境にあるとしても、そしてまた、今しばらくは大きな混乱が続くことが明確に予測できるとしても、決して悲観するには値しないと私は思います。

おわりに(想定される近未来)

私の知識と想像力に大幅に限りがあることは認めます。その上で「でも普通に考えたらこうなるよね?」と思えることを書いて、まとめに代えたいと思います。

  • 内婚制共同体家族はまもなく内婚制共同体家族ver.2になる。
  • 識字化人口の数的優位により世界の中心を占める。
  • 自分たちの居住領域において、彼らは「核家族サイズの国家の分立状態」に満足せず、新たな秩序を模索する。
  • 新たな秩序は、何らかの強大な権威に裏付けられた宥和的なものとなる。
  • かりに「イスラム」を掲げたとしても内実はほぼ世俗的なものとなる。
  • 「権威による平和」を志向する彼らは、世界の中心に返り咲く過程で、「権威との戦い」「競争による秩序」を志向する核家族とぶつかる。
  • 核家族側が妥協しない場合、大きな紛争が生じる。
  • 外婚制共同体家族との関係は、交渉次第(内婚制共同体家族の包容力が問われるところか)。
  • 内婚制共同体家族ver.2が中央、核家族・直系家族ver.2が周縁という当初の配置において平和を回復する。

これは私の「願望」ではありません。家族システムの変遷に基づく世界史を書いてきた筆をそのまま少し先に進めてみただけです。「順調に行った場合の近未来」の予測ではありますが、当てようとも当てたいとも思っていません。

でも、正直、内婚制共同体家族ver.2が作る新しい秩序を見てみたいな、とは思います。

核家族ver.2の「自由」は魅力的で、世界中に新しい風を吹き込みました。しかし、昨今の世界情勢を見ていて、「核家族のやり方で世界を平和にまとめるのは無理なんだな」と私はしみじみ理解しました(こちらに少し書きました)。

直系家族にもその力はないし、外婚制共同体家族はちょっと強面すぎる。

多様性をそのままに、世界をそれなりに平和に統合するという役割にもっとも適しているのは、内婚制共同体家族システムなのではないか。

とはいえ「だったら、われわれも内婚制共同体家族システムを採用して平和裡に世界を征服しよう」といってできるものではないし、気に入ろうが入るまいが、内婚制共同体家族ver.2が再浮上の過程にあるならば、それを止める手立てはないのです。

無責任に聞こえるとは思いますが、みんながそうやって腹を括れば、世界はかなり平和に近づくと思う。

トッドの人類学理論は、人類をそのような境地に近づける可能性を持つ理論だと、私は思っています。

(終わりです)