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独自研究

自殺と他殺
ー権威の作用ー

 

はじめに

トッドは自殺率と他殺率が「反比例する相関関係」にあることを指摘している(『世界の多様性』182頁)。要するに、概して言うと、自殺率が高いところは他殺率が低く、他殺率が高いところは自殺率が低いということだ(下の方に表があります)。

最近たまたまこの記述を再読してピンときた。これは「権威」の作用の問題だと。説明させていただこう。

殺人率と自殺率

まず、下の表をご覧いただきたい。日本とブラジルを比べてもらうと一目瞭然だが、他殺と自殺のバランスは国によってかなり違う。

社会情勢によって数の増減はもちろんあるが、両者のバランスの傾向には大きな変動はないと考えていただいてよい。

*中国とイランは2018年

仮説

何が他殺/自殺比率の違いをもたらしているのか。それは「国家の中に権威の軸が確立されているか否か」の違いだというのが私の仮説である。

確固とした「権威」の軸があるところでは自殺の比率が上がり、ないところで他殺の比率が上がる。

なぜそうなるのか。「権威」の誕生に遡って、「権威」の機能と作用を検討してみよう。

権威誕生以前の人類

人類は約70000年前に死者を弔うことを始めた。遅くともそのときには、「正しさ」の観念(倫理観念)を持っていたと考えられる。

当初、それは「痛い」「甘い」といった感覚と同じで、自分自身の感じた「正しさ」が絶対であっただろう。

ただし、倫理観念は人間の社会性の基礎であり、人間が「社会内生物」として生きることを可能にした感覚である。

したがって、日々の生活を共にする社会集団内では、人々は基本的に共通の倫理観念を持っていたと考えられる。

この状態の世界で、集団と集団が接触し、もめごとがおきたらどうなるか。

それぞれの集団に属する人々は、自分たちの「正しさ」を疑うことを知らない。したがって、紛争の解決策は、離れるか、戦うかのどちらかということになるだろう。

世界にスペースが有り余っているならば、負けた方はどこかに移動すればよい。人間が自らの「正しさ」を絶対視していても、さして深刻な問題は発生しない。

権威の誕生ー目的は「正しさ」の制御

問題が起きるのは、農耕民の定住が進んで人口密度が増し、開拓できる土地がなくなってきたときである。

この状態になると、集団の内外で紛争が頻発する。しかしもはや新規開拓に適した土地はない。人々はともかくその領域で共存していかなければならないのだから、「戦う」以外の紛争解決手段を編み出す必要がある。

人類の社会がこの段階に至ったとき、誕生するのが権威である。

権威は意見の異なる集団が住む地域の真ん中に神殿を建て(比喩です)「汝ら、これにしたがえ」と命令する。

権威の誕生とともに、社会を支える「正しさ」の根拠は、人々の心の中から、社会が「中心」と定めた場所に移動するのである。

原初的核家族は他者を責め、直系家族は自己を責める

人間が他者との関係で退っ引きならない状況に陥ったとき、自殺を選ぶか、他殺を選ぶかを(傾向として)決めるのは、この意味での権威が確立されているか否かであると考えられる。

権威の軸が確立された社会に適応した人々は、他者を責める前に自己を責める。「正しさ」の基準は外側にある。社会と自分が両立できないなら「間違っているのは自分」であり「自分が消えればよい」。そう考えがちになる。

他方、権威が確立されていない社会の人々は、自分の「正しさ」を疑わないという太古からのメンタリティを色濃く残しているので、困った時はとりあえず他人を殺すのである。

検証 

上に示したグラフは、①殺人率、②自殺率、③殺人と自殺の総数、④総数に占める自殺の比率を示したものである(いずれも10万人あたりの件数)。

一目瞭然で、殺人に対して自殺の比率が高いのは、直系家族の日本、韓国である。

自殺の比率は、問題の責任を自己に帰する傾向を示すと考えられるので、「自責指数」とか「自己規律指数」とか言い換えることもできるだろう。

中国は外婚制共同体家族だが、伝播によって共同体家族となったロシアとは異なり、領域内で原初的核家族→直系家族→共同体家族の自律的進化を経験しており、現在も直系家族度合いの高い地域がある。そのために、直系家族地域に近い数字になっているのではないかと思われる。

つぎに自殺比率が高いグループはヨーロッパである。ここに挙げた3カ国はドイツを除いて純粋核家族(絶対・平等)だが、純粋核家族とは直系家族に対抗して形成された核家族であり、その国家は隠れた直系家族の軸の上に成り立っている。システムに内在する直系家族の軸が、この数字をもたらしていると考えられる(実際の住民も「少数派の直系家族+多数派の純粋核家族」という構成)。

アメリカはイギリス由来の核家族だが、イギリスよりも自殺比率が低い。これは、イギリスにおける核家族の部分だけを大いなる大地に移植したことによるものと考えられる。アメリカの純粋核家族は、イギリスのそれから「隠れた直系家族」を取り除き、さらに広大な土地に移植したことによってより原初的な形態に近づいた核家族なのだ。

さらに極端なのは南米である。ここにはブラジルだけを挙げたが、ほかの国も同じ傾向でブラジルがとくに突出しているわけではない。南米は基本的にスペインの平等主義核家族を広大な大地に移植した形態であるわけだが、この結果は、平等主義核家族のひょっとすると絶対核家族以上の自由さというか規律のなさ(権威の不在)を示しているのかもしれない。

ただし、キューバだけははっきりと傾向が異なる。キューバはロシアと同じような傾向を示していて、さすがの外婚制共同体家族である。

ところで、ここまで私は、直系家族地域で自殺比率(自責指数)が高いのを当然のことのように語ってきたが、「外婚制共同体家族地域の方が権威の強度は強いはずでは?」と思った方がおられるかもしれない。

仮説度がぐんと上がるが、私はこう考えている。

この世界における最もスタンダードな国家=家族システムは直系家族、比較的コンパクトな領域の中に秩序を打ち立て、成員一人一人が自発的にそれに従うことで成り立つシステムである。

共同体家族は、この直系家族に軍事上の強い圧力と刺激が加わることで生まれたシステムである。このシステムでは、兄弟全員に軍事組織の隊長として活躍してもらわなければならないので、全員に平等な地位と自律性が与えられる。しかし、そうは言っても、最終的にはトップの指示に従ってもらわなければならない。そのために、トップには法外に強い権威性が与えられるわけだが、その下に服する人々は、一人一人を見ると案外自由で放縦なのである。

いろいろな指標でロシアとアメリカが意外に近いというのは、核家族と共同体家族の隠れた近接性を示しているようで、いずれもう少し突き詰めて検討してみたいと思っている。

内婚制共同体家族は、近代化がほぼ完了していて政情が比較的安定した国ということでトルコとイランを取り上げた。

いずれも自殺比率は低めであるが、それ以上に、どちらの数も少ないことが印象的である。

「家族システムの変遷ー国家とイデオロギーの世界史」では内婚制共同体家族を偉大なる完成形として描いたが、この数字を見ても、その安定性というか底力のようなものを感じずにはいられない。

おわりに

この論考は単純に自殺比率と権威の軸との関連性に興味を惹かれて書いたものであり、取り立てて何か教訓を引き出すつもりはないが、感想はあるので述べよう。

日本や韓国についていうと、全体の数の削減に取り組むことは重要だと思うが、「自殺比率」に関しては納得するしかないと思われる。

南米は圧倒的に自殺比率が低く羨ましい。しかしその分はしっかり殺人率で補われているし、アメリカやロシアの自殺比率の低さ=他殺率の高さも、おそらくは彼らの国家の不安定性と関わっている。どちらがよいとかよくないとかいっても仕方のないことだろう。

また、一定以上の人口密度を前提とする限り、人類が自殺や殺人(や戦争)を克服するのはおそらく無理である。しかし、何が私たちを追い詰めるのかを知ることで、自分自身による自殺や他殺は防げるかもしれない。

私たちが感じてしまう自責・他責の念は、国家や社会を成り立たせるためのフィクションに基づくものである。

全く縁を切ることは難しいとしても、そんなもののために死ぬことはないし、他人を殺すこともない。

<資料> 
https://dataunodc.un.org/dp-intentional-homicide-victims(殺人率)

https://www.who.int/data/gho/data/themes/mental-health/suicide-rates(自殺率)