人間が営む共同体。自然や外敵からの防衛、食糧の確保、老いや病・出産育児の際の生活支援(相互扶助)を主目的とする点は他の動物の群れと同じだが、精妙な精神的(感情的・霊的・知的)紐帯で結ばれている点に特徴がある。
本サイトの理解によれば、この「社会」の形成(≒ 精神的深化)こそが、生物種としての人間に独特の生存戦略であり、地球上における人間の繁栄を可能にした要素である。したがって、人間を理解するには、社会の成り立ちを理解することが決定的に重要である。
社会と家族
社会の実体は、個体と個体を結ぶ精神的な絆の中にある。絆の在り方を決めているのは、家族・親族の在り方である(家族システム)。
社会にとっての家族システムの重要性は、人間が家族の中に生まれ落ちる生物であることの単純な帰結と考えられる。
*ヒト属(人類)は、個体の誕生に二人の親の関与を要し、かつ、大人になるまでの期間が著しく長い生物種であるため、人間に進化する以前から(核家族の集合から成る)小規模の親族集団で暮らしていたと考えられる。この親族集団が、おそらく、人間が営む社会の母体となったのだ。
進化のはじまり
人間が人間となった当時(約70000年前)の社会は、地球上に(少なくとも)比較的最近まで存在した狩猟採集社会と同種のものであったと考えられる。核家族(夫婦と成人前の子どもからなる世帯)を基本に、その周囲に事実上存在する親族集団が必要に応じて協力し合うごく緩やかな共同体である(規模は大きくて1000人程度)。
*この原初の親族集団の詳細については次の記事をご参照ください(関連箇所に飛びます)。
その後も長い間、人間は同種の社会を営み続け、地球上にこうした人間の集団が散在する状態が続いた。
進化の第一歩が踏み出されたのは、前4000年頃の西アジアにおいてである。農耕文明の中心地であった同地で、人口増加による土地不足のため、農地を親から一人の子ども(多くは長子)に受け継ぐ慣行が行われるようになったことが革新の契機となった。
*同様の革新は前1000年頃の中国でも(独自に)起こっている。
成人した子どもが全員家を出て(農村の場合は新たな土地を開墾して)新たな核家族を作る仕組みの下では、家族と家族、集団と集団の間に「親族である」という以上の関係性が生じることはない。
*「親族」というとそれだけである種の権威関係を思い浮かべる読者が多いと思いますが、それはわれわれが革新後の世界を生きているためです。それ以前の世界では、親族は「なんとなく身近にいる人々」でしかありませんので、ご注意ください。
長子相続は、こうした世界に、親と子、祖先と子孫をつなぐ一筋の絆をもたらした。上の世代と下の世代を権威関係で結ぶ縦型の堅固な軸が、社会を構造化する柱の役割を果たし、以後、社会は一気に国家の形成へと向かったのである。
*国家の成立に向かう過程はこんな感じ→①親族がなんとなく集合しているだけの緩やかな共同体は、家系の維持という共通の目的の下に組織され上位者が統率する大集団に変化する ②こうして生まれた集団同士が闘争・折衝することで序列化(+機能分化)が進み、社会全体に縦型の組織構造が行き渡る。③王の下に官僚機構が整備された小規模な国家が成立
異質な社会が併存する世界
緩やかな親族集団からスタートした人間の社会は、家族システムの進化(個人と個人をつなぐ精神的絆の構造化)とともに変化を続け、小規模な国家(都市国家)が成立した後、帝国(複数の都市国家を統一した国家)、世界帝国(より広域の帝国)へと発展していった。
ある地域で家族システムの進化が生じると、その家族システムは支配や模倣を通じて周辺に拡散したが、歴史を通じて、一つのシステムが世界を覆い尽くすほど拡大することはなかった。
その結果、この世界には、進化の段階を異にする多様な家族システム(→異なる種類の精神的絆に依拠する社会〔国家や各種共同体〕であり、異質な集合的メンタリティを有する社会)の併存状態がもたらされることになったのである。
社会が担う二つの役割:戦争と平和
社会の基本的機能は種の保存であり、精神的絆の構築により生物種としての効果的な生存を図るというのが人間の採用した戦略である。
原初的な核家族システムは、社会の絆をもっぱら「外部との戦い」(外部から来る危険や困難に共同で立ち向かう)のために用いることで、この機能を果たしていたが、家族システムの進化は、社会に「内部の融和」(共同体内部の紛争の解決・予防)という新たな役割を付け加えた。
人口増加による紛争の多発状況が、家族システムの進化を生んだという事情を考えれば当然のことではあるが、これによって人間が、「自己保存」(身内の生存・生活の防衛)の価値に加え、「共存共栄」(他者との平和的共存)という価値を内面化するようになったことは、それなくして人間がこれほどまでに地球上に繁茂することはなかったであろう、画期的な進歩であったといえる。
現状
膨大な数の人間が地球上に広がり、人間が巨大な自然破壊力(高度な科学技術)を手にしている現在、人間界の秩序が(ある程度)保たれることは生態系全体にとって死活的に重要となっているが、家族システムの進化にも関わらず、人間界の平和は実現していない。
その理由としては、1️⃣異なるシステム(=異なるメンタリティ)の社会が併存し相互理解に限界があること、2️⃣「近代」以降、原初的な核家族に近いシステムの社会が人間界の覇権を握っていること、などが挙げられる。
しかし、最大の理由は、以下の点にあるのではないかと筆者は考えている(仮説である)。
3️⃣人間の社会は、自己保存(外部との戦い)の価値と共存共栄(他者との平和的共存)の価値の双方を内在している場合でも、究極的には前者が優先される仕組みになっている。
人間が、平和を謳う一方で、いとも簡単に他者(他の社会)を敵視することができるのは、社会(=集合的メンタリティ)の優先順位があくまで「自己保存のための絆の構築」にあるからではないか。
平和への希望は、人間が、その精神の自由を、人間自身の精神性の限界(少なくともその可能性)を認識・制御する方向に向けることができるか否かにかかっていると思われる。
- 社会の実体は、個体と個体を結ぶ精神的絆の中にある
- 社会ごとの絆のあり方は、家族システムによって決まっている
- 家族システムの進化が国家を可能にし、進化が一様に進まなかったことが多様なシステムの国家の併存状態をもたらした
- 家族システムの進化は、生物の本能から来る「自己保存」に加え、「共存共栄」(他者との平和的共存)の価値を人間の集合的心性に付加した
- 社会の優先順位があくまで「自己保存のための絆の構築」にあるためか、人間界の平和は実現していない