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トッド入門講座

家族システムの変遷-国家とイデオロギーの世界史 (1)-2 中国の事例 

目次

 

はじめに

この講座では、次回以降、ユーラシア大陸の西の中心(中東)とその周辺を舞台に、家族システムの変遷を見ていくのですが、その予行演習として最適なのが、中国の事例です。

中国では、中東と全く同様に、「原初的核家族→直系家族→共同体家族」という標準系列の進化が起こりました。

中国のシークエンスは、中東よりはコンパクトな領域内でまとまっているので、シンプルで分かりやすく、新しい分資料も豊富です。

典型的な進化の過程はどのようなものであったのか、そして、トッドがどのような事実を根拠に、その過程を跡付けているのか。

今回は、その概要をご紹介し、本編(次回以降)の準備とさせていただきます。

トッド用語の解説:
家族システムの「父系制」と女性の地位

原初的核家族から共同体家族までの「進化」の歴史は、権威が生まれ、組織が強化されていく歴史であると同時に、女性の地位が低下していく歴史でもあります。

それは、夫婦(男女)が対等である原初的状態から、次第に、夫=父親=男性が重視され、男性間の絆の強化とともに、女性の地位が貶められていく過程でもあるのです(私の主張ではなく端的な事実です。なぜこのようなことが起きるのかについては、後で考察します)。

そのため、トッドの『家族システムの起源』では、「イデオロギーなし」の原初的状態から、権威が発生し、共同体家族の確立・強化に至る過程を、「父系制の強化」という軸に載せて記述しています。

原初的核家族               ー 父系制レベル0
直系家族                 ー 父系制レベル1
共同体家族                ー 父系制レベル2
女性の地位の最大限の低下を伴う共同体家族 ー 父系制レベル3

「父系制」という表現は、必要以上に専門的な気がするので、この講座では、この父系制レベルによる区分を積極的には用いません。ただ、トッドの文章をそのまま引用するときなどに「父系制」という言葉が出てくる場合があると思います。

そこで、「父系制」とは、父親=男性をより重視する仕組みを指し、父系制レベルの上昇は、父親=男性の権威のレベルが上がり、同時に女性の地位が下がる過程であるということを、何となく頭に置いていただければと思います。

また、家族システムの「進化」と女性の地位に深い関係があることから、ある特定の時代・文化における家族システムを探る際、しばしば、当該文化における女性の扱いが重要な指標となることも、頭に入れておいてください。

出発点:原初的核家族

中国周辺の家族システムを見ると、その中心部(中国の中央)を共同体家族が占める一方で、同心円上には、直系家族(中国南東部、日本、朝鮮、ベトナム北部、中央チベットなど)、同じく同心円上の周縁部に、原初的(「絶対」でない)核家族が配置されています。

『家族システムの起源 I ユーラシア』(上160頁)

これに「周辺地域の保守性原則」を当てはめれば、中国でも、出発点には核家族があり、共同体家族は「革新」である(可能性が高い)、ということが分かるのです。

原初的核家族という出発点、それは「一切の規則がない」という状態です。

絶対核家族などの純粋核家族には、「親子の分離」という規則があり、成人した子供は親と同居しないのが原則です。

しかし、原初的な核家族では、成人した子供も、必要があれば、親と一時的に同居します。同居してもしなくても「どっちでもいい」。それこそが「原初的」であるゆえんなのです。

*トッドは「起源」の中では、私がここで「原初的核家族」と呼んでいる類型について「一時的同居を伴う核家族」という分類を用いています。

そういうわけで、最も原初的な核家族は、同居先に関してもルールを持ちません。つまり、ここでも、夫の親でも妻の親でも「どちらでも構わない」(「双方制」)。

しかし、原初的な核家族の中には、同居先に関するルールを持つものが少なからず存在します。一時的に同居する場合の「標準」があって、「父方居住」ないし「母方居住」のいずれかが原則となっている(多くは父方です)。

この「同居先の標準化」は、原初的家族システムに芽生えた「規則」の萌芽であると考えられています。

未分化な核家族はルールなし。成人した子は必要に応じて親と一時的に同居するが、同居先は夫の親でも妻の親でも構わない(双方制)

直系家族への進化(第一段階)

原初的核家族が直系家族に進化したケースで、共通に観察される現象は、土地の不足です。

農耕文明の中心地で人口が増大し、耕作に適した土地が不足する。直系家族の誕生は、多くの場合、フランスの歴史家ピエール・ショーニュの表現でいう「満員の世界」の時代と同期しているのです。

「満員の世界」と直系家族の間に機能的な連関があることは、つぎのように考えてみると簡単に分かります。

「満員の世界」。それは、成人した子どもたちが家を出ても、新たに開墾する土地がない世界です。その条件の下で、農耕民が生き延び、繁栄していくにはどうしたらいいか。

まずは、土地を分割して子供に分け与えるということが考えられますが、一世代はよくても、何度も分割すれば小さくなりすぎて、土地の利用効率は低下するでしょう。

したがって「満員の世界」では、
 ①土地を分割せずに子孫に伝えること
 ②集約的な農業によって、土地をより効率的に利用すること
の2つが必要になる。

直系家族システムが、このような世界に適合的であることは明らかといえます。直系家族とは、土地を特定の一人(多くは長子)に相続させ、彼に権威を付与することで、家長の下で集約的農業を営むことを可能にするシステムですから。

そういうわけで、中国では、メソ紀2200年(前1100年)頃1なおこの年代の正確性については「過大に受け止めないようにしよう」と特に注意が喚起されています。「これは平均的な年代ではなく、むしろ起源点を示すものである。」(起源1・上185頁)、商王朝末期および周王朝の下で、貴族の間に男性長子相続制が根付き、直系家族システムが定着したと推定されています。

なお、直系家族が生成・定着する時期に、共通に見られる現象がもう一つあります。戦乱です。

封建制中国は、紀元前722から222年〔メソ紀2578-3522〕 までの間の時間の75%を軍事活動が占めており、今日の調査で分かっている限り最も好戦的な文明のうちの一つを経験したわけである。

起源1・上185頁

直系家族、満員の世界、戦乱の3者が揃うのは、2000年後の封建制ヨーロッパ、封建制日本も同様です。

「満員の世界」が戦乱をもたらす要因でもあることは容易に想定できますが、家族システムに関しては、つぎの2つの点が重要です。

  1. 戦乱は、軍事組織の強化の必要性から、直系家族の生成を促進する。
  2. 戦乱は、同じく軍事組織強化の必要性から「長男」(男子)の選好を促す要因となる。

直系家族 誕生の背景
 ①満員の世界(人口増大で土地が不足)
 ②戦乱 

共同体家族への進化(第二段階)

直系家族への移行は、日本人には非常に理解しやすいものですが、共同体家族については、システムそのものがピンと来にくいと思います(私もです)。「進化」の過程を追うことは、システムの理解にも役立つかもしれません。

共同体家族誕生の鍵、それは遊牧民の存在なのです。

中国の場合、遊牧民と定住農耕民が相互に影響を与え合ったことで、共同体家族への発展がもたらされたと考えられています(下図参照)。  

①遊牧民における兄弟の対称性原則の確立(父系制の伝播)

遊牧生活を営む集団においても、初期の家族システムは、原初的な核家族で、「父親の権威」といったものは存在しません。

紀元前4世紀〔メソ紀29世紀〕までか、もしかしたらもう少し後まで、社会の父系的組織編成を喚起するものは何一つない」(起源・上197頁)。

起源・上197頁

しかし、メソ紀30世紀(前3世紀)になると、現在のモンゴル地方にいた匈奴の間に、父親の権威を前提とする家族組織が観測されるようになるのです。

すでに紀元前3世紀には、洗練された政治的構造化が、モンゴル地方の匈奴の許で姿を現わし、次いでトルコ人とその様々な後継者たちの許で姿を現わした。部族の左翼と右翼への割り振りと、‥‥高官たちの複雑な序列が知られている。こうした制度的発達は、より昔の「スキタイ」諸民族においては知られていない。

トッドによるLebedynsky I., Les nomade, p29からの引用(起源・上 198-199頁)

ここでは、兄弟を自動的に左翼と右翼に割り振り、平等に軍事機構(=官僚機構)の一翼を担わせるシステムが確認されているのですが、なぜこれが「父系的組織編成」(父親の権威)の証拠となるのかというと、「子供の族内での地位を自動的に割り振る」ためには、前提として、単系制(通常は父系制)が成立している必要があるからです。

* 子供が父の世帯に属するか母の世帯に属するかが決まっていないシステム(双方制)の下では、まず「どちらに属させるか」を決めなければならないことになり、彼らを自動的に左右に割り振るということはできませんね。

そういうわけで、このシステムは、「父系的組織編成を喚起する」システムです。

では、この遊牧民における「父系制」(男性の権威)はどこから来たのか。トッドは、ここに、すでに直系家族の成立を見ていた中国の影響を想定しています。

もちろん、中国ではなく、中東から来た可能性も考えられるのですが、その上で、トッドが「中国」と結論したのは、ちょうどこの時期に、東方の遊牧民が新たに軍事的優位を獲得したことが検知されているためです。

フン人〔匈奴と同系統とされている〕の出現以来、ステップの力関係は逆転する。それまで西から東へと向かっていた支配的征服の動きは、逆向きの風に取って替わられる。西に向かうウラル・アルタイ語系諸民族の拡大に他ならない。‥‥ 私としては、東の諸民族の新たな軍事的優位は、ステップ東部のクランが中国との接触によって父系変動を起こしたとする仮説によって、かなりうまく説明がつくように思えるのである。

起源・上 200頁

中国の定住民からの影響で、父系と兄弟の平等を組み合わせた遊牧民のシステムが生まれた後、相互影響のベクトルが変わります。次は、遊牧民側が、中国文明に影響を与えるのです。

直系家族の定住民の影響を経て、遊牧民の対称原則が生まれた

②共同体家族の確立(対称性原則の伝播)

中国の定住民が営んでいた直系家族の上に、遊牧民クランの特徴である兄弟の対等性を貼り付けてみて下さい。はい。これが、父親の権威の下に平等な兄弟が横に並ぶ、共同体家族システム誕生の瞬間です。

トッドは、この変化が秦で始まり、秦による中国統一の原動力となったと想定しています。

秦は地図上で全く特殊な地位を占めていた。北西にあって、ステップの遊牧民と直接接触していたのである。

起源・上 207頁

多数の蛮人部族を併合して行ったこれらすべての征服は、歴代の秦伯を北部と北西部の遊牧民…との直接の接触状態に置いた。共通紀元前4世紀の間に行われた秦伯の軍隊の大改革の原因は、おそらくこの事実に帰するべきである。… 歴代の秦伯は、…操作しにくい戦車集団を廃して、騎兵部隊に切り替えた最初の人たちだった。…歴代の秦伯が絶えず勝利を重ねることができたのは、おそらく、鈍重な戦車軍団を翻弄したこの軽装備部隊の軽快さのおかげである

トッドによるアンリ・マスペロ『古代中国』からの引用(起源・上 208頁)

もちろん、共同体家族システムの優位は、軍事的要素だけに止まるものでありません。

父系のクランは、文民社会の中に樹立された軍隊のようなものである。定住システムに投影されるとなると、それは軍隊の再編を引き起こすことになるが、純然たる行政型の合理化も引き起こすかもしれない。

対称(シンメトリー)の概念は、帝国という観念にとって本質的に重要である。国家に適用されれば、それは臣民・地方の平等性となる。土地に固定された農民ないし貴族の家族に採用されるなら、それは兄弟間の平等性として具現する。父系共同体家族の競争力の優位は、その経済的帰結の中に存するのではなく、文民的ないし軍事的な組織編成に関わる含意の中に存するのである。

起源・上 208-209

中国は、メソ紀29世紀(前4世紀)頃の匈奴を皮切りに、46-47(13~14)世紀のモンゴル、50(17)世紀の満州人に至るまで、遊牧民との相互行動を繰り返し経験しています。

これらの集団はみな、同じ家族システムを担っていたわけですから、中国にとって、「クラン的対称という遊牧民の原則は、何度も何度も繰り返し叩き込まれた教訓だったのである」(209頁)。

親子の権威的関係(直系家族)と兄弟の対称性(遊牧民)が合体し、
共同体家族システム(権威と平等)が生まれた

女性の地位の低下(最終形)

システムというものは、「成立すればそれで終わり」ではありません。定着してからの時間の中で、強化されたり、減弱したりするものです。

中国の場合には、メソ紀3100-3200年頃(前200年-100年頃)に共同体家族が登場した後、遊牧民との相互行動の繰り返しなどを経て漸次システムが強化され、メソ紀4200年から4250年(900年から950年)頃には、女性の地位の最大限の低下を伴う、強固な共同体家族システムを持つ社会になりました(この頃、女性の纏足の習慣が生まれます)。

さしあたり、これが、中国における「進化」の最終形です。 

女性の地位の最大限に低下した共同体家族が「進化」の最終形

ユーラシア大陸の西側で展開される世界史は、これよりも少し複雑なものになりますが、このサイクルが基本である点には違いがありません。

したがって、これを頭に置いていただくと、メソポタミアからはじまる世界史がぐっと分かりやすくなるはずです。

それでは、いよいよ、時代をさらに数千年遡り、メソポタミアに移動しましょう。