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トッド入門講座

<特別企画>トッドに手紙を書きました

目次

はじめに

本講座の運営者(以下「私」)はトッドの人類学の忠実な学生です。彼の理論の妥当性とその可能性を信じている度合いは、ひょっとすると本人以上ではないかと思うほどです。

しかし、理論の使い方というか、理論の解釈の仕方という点では、私とトッドの間にはかなりの違いがあります。その点では、私は少しもトッドに忠実ではないのです。

もともと、このウェブサイトでは、「トッドの理論は誰にでも使える」ということを強調していますし、随所で違いを説明してもいます。それでも、「入門講座」と銘打ちつつ、あまり自由な解釈を展開することには、多少の罪悪感というか、引っかかりもありました。

それでも、このやり方を変えるつもりがないのは、私が行っているのは、トッドの理論の可能性を追究する作業であると確信しているからです。彼の理論には大いなる可能性があります。ヨーロッパ人であるという彼自身の背景に制約されるなんてもったいないのです。

「だったら、本人に伝えてみては?」とは、以前から考えていました。この度、個人的によいタイミングとなったので、お礼とともに、私の考えをお伝えする手紙を出してみました。

基本的にはファンレターである手紙ですが、本ウェブサイトをご利用下さる方には、本講座の運営者がどのようにトッドの理論を受け止め、どの点で異なる意見を持っているのかをまとめた文書としてお読みいただけると思うので、以下に日本語訳を掲載させていただきます(原文は英語です)。

返事は来るかな?
もし万一返事があった場合にはもちろんご紹介させていただきます。


手紙は長くて(読むのが)面倒なので、講座運営者から見たトッドと本講座の違いをまとめておきます。

1️⃣大前提として、家族型の分類、家族型とイデオロギーの関係、家族型の分化(進化)に関する理論は共通です。

2️⃣社会における各イデオロギーの作用の中で、トッドは平等の持つ作用(具体的には平等の不在がもたらす負の影響)に目が行く傾向があるのに対し、本講座は権威の作用(権威の不在がもたらす負の影響)に目が行く傾向がある。

3️⃣権威の作用を重視する結果、本講座は家族型の進化(原初的核家族→直系家族→共同体家族)を人類の平和的共存に役立つものとして肯定的に評価する。他方、トッドは、これが「進化」であるということは認めるが、肯定的な評価は示していない(秩序よりも自由を好む性向のためと思われる)。

4️⃣トッドは家族システムから来る権威の作用がピンとこないが、宗教に基づく権威なら理解できるため、本講座が権威の観点から行う説明を、宗教の次元の問題として論じる傾向がある。

→4️⃣のせいで、トッドの議論においては、①宗教の重要性が課題に評価されている、②家族システムの次元(無意識の次元)で説明可能な問題を一段浅い次元(宗教=潜在意識/下意識の次元)で説明するために分析が不必要に複雑になっている、と本講座は感じています。


手紙本文(翻訳)

冒頭の挨拶

私は日本人の研究者で、あなたの本の熱心な読者です。家族システムに関するあなたの発見のおかげで、世界を見る見方が完全に刷新され、ある意味で人生そのものも大きく変わりました。あなたへのお礼は何度言っても足りませんが、まずは一度、心からのお礼を伝えさせてください。あなたの発見をわれわれにシェアしてくださり、本当にありがとうございます!

今回、お手紙を差し上げているのは、家族システムの理論を用いたあなたの歴史解釈のいくつかの点について、異議を申し立てるためです‥‥というのは冗談ですが、しかし、私がいくつかの点であなたと違う見方をしていることは本当です。日本人である私の視点を共有することによって、家族システムを基礎とする人類学的分析による歴史の再解釈というあなたのプロジェクトをより豊かなものとできるのではないかと考え、お手紙を書くことにしました

私はあなたのご研究から本当に大きな影響を受け、もはやあなたの理論を頭に置くことなしに世界を見ることはできなくなりました。あなたの発見を必要な人々に届けるために「エマニュエル・トッド入門講座」(www.emmanueltoddstudy.com)という日本語のウェブサイトまで運営しているほどです。私は、あなたの分析のほとんど全てに賛同しますが、しかし、日本人として「これは絶対に違う!」と感じるところもあるのです。

筆者の自己紹介(学問的背景)と手紙の趣旨

ごく簡単に、私の学問的背景をご説明させてください。私は1970年生まれで、2021年までの約20年間、法学の教授として日本の大学に勤めていました。

ご存じのように、日本は西洋の法制度を受容し、現在は欧米と「自由、民主主義、法の支配といった基本的価値観を共有するパートナー」ということになっています。しかし、制度は似ていても、その実際の機能の仕方は、西欧と日本では大きく異なっています。そのため、日本の法学者の仕事の大部分は、日本の中に西欧との違いを発見して、それを批判し、あるいは正当化することに向けられてきました。

日本で法学者であるということは、日本を西欧に変革するための革命の綱領を書き続けるようなものといえるかもしれません。穏健派もいれば、急進派もいる。それでも、基本的な方向性に違いはありません。そのような仕事を、一生、情熱的に続けることができる人もいますが、私にはできませんでした。

仕事を続けるうち、私は、日本と西欧では何かが根本的に異なっており、日本を西欧に変革するという革命が成就することは決してないという端的な事実に気づきました。私は仕方なく大学を辞め、一人で、近代史を見直す作業を始めることになりました。その作業に際して、あなたのお仕事がどれだけ重要な意味を持ったかを、私があなたにご説明するのは馬鹿げたことのように思われます。

この手紙の中で、私は、無意識のレベルに権威を備えた社会に生まれ育った人間が立てたいくつかの仮説を披露したいと思います。仮説は、宗教権威、そしてドイツに関連し、最終的に、ヨーロッパ人、アメリカ人の問題性ーー人間でいっぱいの世界の中で他の人間集団と共存する適性を欠いていることーーを強調することになります(それが私の目的というわけではありません。念のため)。

宗教と家族システム1️⃣ 直系家族の宗教

宗教と家族システムの関係から話を始めましょう。いくつかの本の中で、あなたは、一神教を直系家族と結びつけています。直系家族は、唯一全能の父という権威をその心性に有するが故に、一神教に親和的な家族システムであると。

まず第一に、ドイツのことを一旦忘れていただくようお願いします。後でご説明しますが、私の考えでは、ドイツの人類学的基底には、単に直系家族であるということを超える特殊性があります。しかし、あなたは、ドイツを、直系家族の典型とみなしている。そのことが、あなたの直系家族理解をやや歪めているように思われるからです。

私は、日本人の信仰が多神教的である点についてほぼ絶対的な確信を持っています。それはもちろん家族システムに起因します。神は父親の似姿である、言い換えると、宗教体系は地上の権威体系の反映である、という考えを私は受け入れています。そこで、直系家族の権威の性格について考えてみたいと思います。

直系家族において、父親が子どもに対して権威的な地位にあるのは事実です。しかし、一方で、彼の権威が、祖先に由来し、まもなく長子に引き継がれる、仮初のものにすぎないという事実も見逃せません。元法学者として、私は、権威の機能の一つは、社会に正義の基準を供給する点にあると考えています。直系家族の日本の場合、そのようなものとしての権威は、先祖から子孫に連なる系の中に存在しており、歴代の父親たちは、誰一人、何が正しく、何が正しくないかを、自ら決定できるだけの強い権威を持っているわけではありません。

その意味で、父親の権威だけに着目した場合も、その権威構造は極めて分散的であるということができます。加えて、家系の維持は、決して本家の父親(総領息子)だけで成しうる仕事ではなく、母親、叔父、叔母など、一族全体が、それなりの役目を果たし、したがって、一定の権威性を有しています。

直系家族の社会とは、こうした分散的な権威構造を持つ家系が多数存在し、家系同士が互いに尊重し合い、それぞれの家系の維持に努めることで成り立っている社会です。

彼岸における神の配置が、地上の権威体系の反映であるなら、直系家族の社会には、各家系のご先祖たちを象徴する神が、ほとんど無限に存在するはずです。そして、人々は、その全ての神にそれなりの敬意を払うーー特別に贔屓にする神がいたとしてもーーというのが通常のあり方であると思われます。

実際、日本の人は、由来や素性を問わず、ありとあらゆる神様に対して、尊崇の感情を抱くのが普通です。土着の信仰は、祖先や偉人の霊を含むありとあらゆる物を神として崇めますし、仏教伝来以降は、中国やインドから来た神様も当然のように尊崇の対象に含まれることになりました。自分の家の葬式は浄土真宗で出すけれど、正月には近所にある手頃な神社仏閣に詣で、旅先ではありとあらゆる神様に手を合わせ、結婚式は教会で行い、クリスマスにはパーティーを開きます。実際、家系の中に西洋人が混ざっていたって全くおかしくないのですから、もしキリスト教側が許してくれさえしたならば、キリスト教の神はもより正式に日本人の信仰の対象に含まれることになったでしょう(「キリスト神社」とかができたりして)。こうした行動をおかしいと感じるのは、あたまでっかちなインテリだけです(もちろん、私もかつてはその一人でした)。

浄土真宗は確かに阿弥陀如来を重要視しますが、それは、浄土真宗が民衆を「他力本願」によって救うことを重視した教えであるためにすぎないように思えます。もちろん、私は仏教の専門家ではありませんが、ここは日本なので、浄土真宗に関する情報は潤沢です。聞くところでは、浄土真宗が、数ある仏の中で阿弥陀如来を特別視するのは、阿弥陀如来が、自ら仏道修行を行うことで救済を得ることができない人々に対して、他力による救済を与えることを約束する仏であるからです。浄土真宗にとって、阿弥陀はもっともパワフルな存在ではあるけれど、阿弥陀がすべてであるというわけでは決してありません。

浄土真宗は、仏教の他の宗派を否定するわけではなく、「自分たちはこのやり方でいく」ということを宣言しているにすぎません。その意味で、浄土真宗を含む、仏教各宗派の存在の仕方には、社会に多数の家系があって、それぞれの家系がそれぞれの権威に依拠してそれぞれのやり方を貫くことをよしとする、直系家族らしさが如実に表れている、と私は考えます。他力による救済を叶えるという一種の便宜のために阿弥陀を選択する浄土真宗を、神とは唯一絶対であるとする一神教に近いものとみるのは、やはり妥当ではないと思います。

そして、浄土真宗の教えは、阿弥陀如来は、いかなる者であっても、念仏を唱えるものであればすべて救済する、というものであって、その教えはきわめて平等主義的です。ルターの神の厳しさはまったくないのです。

家族システムと宗教2️⃣ 一神教を必要とするのは誰か?

そういうわけで、一神教は直系家族の宗教ではないと仮定しましょう。では、一神教を必要とするのは誰でしょうか?

共同体家族?
私の考えは違います。

共同体家族の場合、生身の人間である父親の人格こそが権威の源泉です。国政に置き換えていえば、現在の皇帝の人格ということになります。現実の世界で、絶対的な権力を掌握している皇帝にとって、唯一絶対の神(the only true God)の存在は有害でしかありません。唯一絶対の神が皇帝に服従するという事態はおよそ考えられないわけですから。

共同体家族の帝国では、王は何らかの形で神格化され、王に化身するその神は最高神とされるでしょう。しかし、ほかにもさまざまな神、例えば、妃や母に当たる女神や、帝国に服属する地域の神などがいて、皆が揃って最高神を崇める、といった形で、現世の王の権威を支えるのが典型的ではないかと思われます。

直系家族にも言えることですが、現世に確固たる権威が存在し、その権威のもとで政治的秩序が保たれている場合、宗教の役割はその補強にとどまります。世俗の権威を凌駕するような強大な神の存在は、不要なだけでなくむしろ邪魔なのです。

では、一神教の神を必要とするのは誰でしょう。
答えはすでに明らかだと思います。そう、核家族です。

原初的核家族(the undifferentiated nuclear family)であるユダヤ人が、ユダヤ教を作り上げたのは、バビロニアやアッシリアの圧力にさらされた彼らが、国家らしきものを作り、それを維持していく必要に迫られる中でした。

私の仮説は、このプロセスにおいて、天上の唯一絶対の神は、地上の権威の代替物として機能したというものです。

人類史における権威の役割

直系家族の誕生が、国家(都市国家)の誕生と同期していることを、私はあなたの研究から教わりました。私は膝を打ちました。

満員の世界の中に、縦型の権威の軸が生まれ、その軸を基礎として、バラバラに散らばっていた核家族社会が、法、文字の体系、行政機構を持つ国家的秩序に一気に組み上げられていく様が、目に浮かぶようでした。

この時以来、権威の軸が、国家というものを成り立たせるために不可欠のツールであること、そして、それは、満員の世界で平和的に共存するために不可欠なメンタリティを人類に付与するものであり、こういってよければ、人類史における最大の発明品の一つである、ということが、私にとっては絶対的な命題となりました。この命題をめぐる私の経験は、ローレンス・ストーンの理論があなたに与えたのと同じようなものであったかもしれません。

誤解のないように申し上げますが、私が権威に魅了されているということは決してありません。私は記憶にあるもっとも古い幼少期から、日本社会の権威的な側面に違和感があり、そのことが私を社会科学の世界に導いたようなものなのです。

そして、その私は、あなたの導きに従って歴史を読み直してみて初めて、権威が人類の平和的共存のために果たしてきた役割を認識し、好むと好まざるとに関わらず、これは必要不可欠なものなのだと観念するに至りました。

しかし、あなた自身は、権威というものが、人類の共存にとっていかに重要な機能を担ってきたかということに、比較的無頓着であるように思えます。「我々はどこから来て、今どこにいるのか」の中で、あなたは、ファーガソンの言葉を引用し、人間の集団に絶対的なアイデンティティなど存在せず、他の集団に対する敵意のみが集団の一体性の源なのだと断言します。

私には、あなたが、これを家族システムに関わらない、人間の本性だと捉えているように読めるのですが、もしそうだとしたら、私はあなたの見立てに反対します。

人間の集団に絶対的なアイデンティティが存在しないという点に異論はありません。しかし、それでも、他者を排除する以外のやり方で、各社会の内的一体感を醸成したり、集団の連帯感を高めることは可能だと思います。それを可能にするものこそが、権威なのです。

権威とは、荒野に建てられた一本の柱のようなものである、と私は考えています。柱があれば、人はそこに旗を立て、集まることができます。柱の周りでダンスを踊り、歌を歌うことだってできる。そうすれば、自ずと、一体感は醸成されます。権威が確立した社会では、常に右と左に分かれて争うことをしなくても、常に外部に敵を探すことをしなくても、中心を保ち、集団をある程度平和的に維持していくことが可能なのです。

もちろん、直系家族や共同体家族の場合も権威の威力は絶対的ではなく、危機に瀕しては「他者の排除」という古典的な手段が用いられることがあります。しかし、一度、柱を手に入れ、自分たちの集団を平和的に維持することを覚えた集団には、他の集団は必ずしも敵ではない、と想定することができます。他の集団もまた、自分たちと同じように、権威の下で平和に暮らす集団なのかもしれない以上、他者をいきなり攻撃するという動きになるはずはない(私はヴァスコ・ダ・ガマのことを思い浮かべています)。その意味で、権威のもたらすメンタリティは、国家間の平和的共存にとっても、不可欠なものだと見ることができます。

信仰の喪失が「西洋の敗北」をもたらしたのはなぜか

近著、『西洋の敗北』の中で、あなたは西洋の没落の根底に「宗教ゼロ」状態があることを指摘しています(私は日本語で読んだので用語が正確かどうかわかりません)。信仰の喪失が西欧の混乱の基礎にあるという指摘には賛成です。しかし、私の考えでは、真の問題は信仰の喪失ではなく、権威の喪失です。

信仰の喪失は、直系家族や共同体家族地域においても相応のインパクトを持つでしょう。信仰は多くの場合、地上の権威を補強する役割を担っていたからです。しかし、たとえ弱まったとしても、地上の権威は残ります。

他方、西欧においては、神は地上の権威の完全な代替物でした。西欧は、神を信じることによって国家を作り、信仰を喪失する過程では、学問の形で科学的真理(神の代替物です!)を追究し、イデオロギーを活性化させて、近代国家を運営しました。西欧では、信仰の喪失は、曲がりなりにも機能していた代替権威の喪失、つまり、権威の完全な喪失を意味したのです。

だからこそ、信仰の喪失は、西欧だけに特別な影響を及ぼしました。あなたのいうとおり、西欧文化圏は完全なニヒリズムに陥り、彼らの国家は、その延命のためならいかなる行為も辞さない存在となった。ひょっとすると、このニヒリズムは、核家族が満員の世界に投げ込まれた場合に示す、標準的な反応なのかもしれません(私は今イスラエルとアメリカを思い浮かべています)。

西欧の覇権は、過去500年間の世界を規定してきましたから、その終了によって大きな影響を受けない国も地域もあり得ないでしょう。その時代がすっかり終わるまでの間に、この先さらにどんな事態が起こるのか、私には想像もつきません。

それでも、英米を中心とする西欧が、「乳と蜜の流れる土地」を求めて大航海に出て以来、作り上げてきた世界が、いささか異常な世界であったことは間違いなく、これが終了することは自然であり、かつ、健全なことだと私には思えます。世界には、正気を保ち、また強靭な権威を備えた文化圏がいくつかあります。今後、世界を支えていくのが、彼らであることは疑いない以上、当面の混乱を乗り越えた先に、世界は、おそらく相当程度に人口を減らした上で、より持続可能で、安定性のあるあり方を回復していくのではないでしょうか。

ドイツと日本:ドイツの特殊性

最後に、ドイツについて触れましょう。核家族が中心の西欧にあって、ドイツは直系家族です。しかし、そのドイツは、一神教であるキリスト教を受容し、宗教改革の立役者を輩出した。脱宗教化の影響を、もっとも強く受けたのもドイツです。一見すると、ドイツは、一神教を必要とするのは核家族であるという私の仮説、脱宗教化は権威主義家族には決定的なダメージを及ぼさないという私の仮説を覆す存在であるように見えます。

ここでも、私たちは「国家は直系家族の権威の誕生とともに生成した」という(あなたが私に教えてくれた)仮説から出発する必要があります。文明の発祥地に妥当するこの仮説は、周縁地域であるヨーロッパや日本に当てはめる際には、若干の修正を必要とします。これらの地域は、中心地からの影響によって、権威が誕生する以前に国家を経験したからです。

これらの地域が、自生的な権威が発生していない段階で、国家を生成・維持することができたのはなぜか。私は、彼らが、どこかから権威を借り受けたからである、と考えています。

日本の場合、権威を貸してくれたのは中国です。古代の天皇は中国の皇帝に並び立つべき存在である」という観念によって権威性を獲得しました。その権威は、中国の皇帝の権威を日本の鏡に映したものに他なりません。

ヨーロッパの場合はもちろんキリスト教ですね。私はあなたから教わったのだと思っていますが、ヨーロッパは、ローマ帝国の遺産としてのキリスト教から、その権威と組織を借り受ることによって、国家を建設することができた。

借り物の権威によって国家を生成した国では、人口が増え、教育レベルが上がってくると、この借り物の権威と地物の勢力の間の綱引きが始まります。これは、借り物の国家を、生成過程にある家族システムに見合った国家に生まれ変わらせる過程です。

ヨーロッパの核家族地域の場合、このプロセスは、キリスト教およびキリスト教に力を借りていた勢力を放逐するプロセスとなります。

フランスは、まずはカペー朝の王が教皇を屈服させ、次には国王そのものが放逐されて、共和国が成立する。

直系家族がどこにも定着しなかったイギリスの場合、彼らはもちろん自由を望みますが、国家を維持するため、彼らは何らかの形で借り物の権威を保持し続ける必要がありました。そこで、彼らは、教会制度を国王の下に置き、王制を維持しつつ、それを形骸化させていくというやり方でこの必要に対応した、と私は見ています。

それでも、王の権威が日増しに薄れていく中、国家の統合を保つには、犠牲が必要でした。イギリスの場合、アメリカにおける先住民と黒人にあたるそれは、アイルランドだったのではないでしょうか。やや脱線しますが、私には、クロムウェルのアイルランド征服戦争は、イスラエルによるガザでの蛮行とまったく同じ現象に見えます。

直系家族のドイツでは、綱引きは、借り物の権威と、新たに生成した直系家族の権威との間で行われ、最終的には後者が勝利します。勝利した諸侯たちは、しかし、決してキリスト教そのものを放逐しようとはしません。そのメンタリティの奥深くに権威を抱えもつ彼らは、一神教の神の権威に憧れこそすれ、反感を抱くことはないからです。

権威との親和性の高さゆえに、綱引きで地物の権威が勝利した後も、借り物の権威を大切に持ち続けたのは日本も同じです。日本では、綱引きは「借り物の」天皇および貴族と「地物の」(直系家族の)武士の間で行われ、16世紀以降は地物の権威が実権を握る体制が確立します。それでも、天皇が放逐されることはなく、天皇は、今日に至るまで、ある種の文化的な権威、国民統合の「象徴」としての地位を保っています。

では、やはりドイツと日本はそっくりだと見るべきなのでしょうか? 実をいうと、この点は、あなたの議論の中で、私がずっと違和感を感じていたポイントでした。私の感覚では、ドイツと日本の文化にはかなり大きな違いがあります。日本と韓国の違いは婚姻制度の相違(内婚と外婚)によって説明することが可能です。しかし、ドイツと日本の違いはそれを遥かに超えていると思います。

私は法学の教授でしたので、ドイツの文化には比較的馴染みがあります。言わせてもらえば、とにかく、日本はドイツほどパワフルではないし、ドイツほど生真面目でもないし、何につけても、ドイツほど徹底的ではありません。荘厳なドイツ音楽も、カントやヘーゲルやマルクスの仕事も、そして分厚くて体系的で網羅的でしょっちゅう改訂されるドイツの法律コンメンタールも、私にはとても人間業とは思えません。あれらに比べれば、日本人のやることは、どれもこれも、ずっと散漫でいい加減です。日本人がドイツのあれこれに魅了されがちであるのは事実であり、日本とドイツの間に親和性があることは確かです。しかし、両者がそっくりであるとは到底言えないと私は思います。

何がドイツの特殊性を形作っているのでしょうか。私は、両者の違いは、借り物の権威の性格の相違に由来すると考えています。

日本の場合、それは「日本の鏡に映した中国」でした。実体をもたないそれは、必要に応じていくらでも形を変えることができ、新たに確立された日本のシステムにとって邪魔になることはありませんでした。

他方、キリスト教は歴とした世界宗教であり、ルターといえども聖書を書き換えることはできません。そのため、直系家族となったドイツは、核家族のために作られた宗教を抱き続けることになりました。

私の仮説によれば、一神教は、権威を持たない核家族に、権威の観念を植え付けるのに適した仕様になっています。原初的な自由を謳歌する人々を法に従わせるために、神は、超越的な、唯一絶対の存在でなければならなかったし、キリストは全人類の罪を背負って十字架にかけられなければならなかった。しかし、そのような脅迫的な存在が、法に従うという構えを十二分に備えた直系家族の心に取り憑いたらどうなるでしょうか。

全人類の罪を背負って十字架にかけられたキリストの像を前に、直系家族は悩みます。この罪を贖うために、自分には何ができるのか、と。

13世紀、第4回ラテラノ公会議は、「罪の告白」の年に一度の実施を信者の義務と定めます。私は、この事実の背景には、直系家族の成立があると私は睨んでいます(「罪の告白」の重要性については、フーコーが論じているということですが、私にはフーコーを読む習慣はありません。日本人の歴史学者阿部謹也の著書で知っただけです)。

同じ頃、絵に描かれるキリストの像は、痩せ細り、苦悩に顔を歪める受難者の姿に変わっていきます。核家族であった人々の目には単に神々しいものと映ったキリストは、直系家族化した人々の目には、苦悩に打ち震える存在にしか見えなくなった。そうです。苦悩するキリストは、強大な一神教の神の権威に押しつぶされそうになりながら、正しい行いを求めて苦悩する直系家族の内面の表れなのです。

一言でいうと、私の立てた仮説は、ドイツの人類学的基盤の特殊性は権威の過剰にある、というものです。数式で表すとこうなります。

キリスト教(一神教の神)の権威+直系家族の権威
 = ドイツのメンタリティ

直系家族の、それ自体はさほど強靭ではない権威の軸の先に、彼らは一神教の神を接続した。そのことによって、ドイツは、凄まじいパワーを獲得し、同時に、あなたがしばしば指摘する、リーダーシップの不安定さももたらされたのです。

ドイツのリーダーとは、普通の家庭のお父さんが会社でがんばって働いて出世したら、なぜか神の代理人になっていた、というようなものですから、不安定にならないほうがおかしいといえます。あなたは日本のリーダーも同様だと言いますが、日本にはそもそも強いリーダーなど生まれません。昭和天皇だって実態は専制君主とは程遠いものだったのです。

権威と平等

今回、あなたにお伝えしたい内容はこれですべてです。もしかしたら、あなたには、私の歴史の見方が、権威の観点を重視しすぎに見えるかもしれません。しかし、実は、それこそが、私があなたの分析に対して感じることなのです。

「平等の不在」という観点から、アメリカの民主主義を論じるあなたの手際に、私は心底感銘を受けました。教育の推移と黒人差別の関連を論じたところなど、「すごい!自分には絶対に思いつけない!」と興奮しながら読みました。しかし、一方で、こう感じるのも事実なのです。

「ちょっと平等の観点のみをを重視しすぎでは? アメリカは、権威と平等の両方を欠いている。権威の欠如という観点から分析することも必要ではないかしら」と。

家族システムの分化に関するあなたの仮説を前提にすると、それぞれの家族型が担っている諸価値をつぎのように解釈することができるのではないでしょうか。

人口が増大し続ける地球上で、人類は、平和的な共存のために、二つのツールを開発した。最初が権威、つぎが平等である。

中心部の家族システムはその両方を備え、辺境はそのどちらも持たない。その中にあって、フランスは平等のみを持ち、日本は権威のみを持っている。それぞれの社会に属するあなたと私は、それぞれ、平等の機能、権威の機能にとくに敏感な感受性を持つことになった、と。

何度でも言います。家族システムと社会のイデオロギーの関係や、家族システムの分化に関するあなたの発見によって、私はこの世界を信じられないほど明晰に見ることができるようになりました。あなたのおかげで、あれがいい、これがよくないと批評し、ああしろ、こうしろと意見をいえば世界を良い方向に変えられると考える傲慢さと完全に手を切ることができました。

権威の観点から見た私の解釈が、家族システムの観点から歴史を読み直すというあなたの真に画期的なプロジェクトに対して、ほんの少しでも貢献できたとしたら、これほど嬉しいことはありません。

長文をお読みいただいてありがとうございました。これからもあなたの素晴らしい直感と叡智をわけていただくことを楽しみにしています。

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トッド後の社会科事典

学問(近代)

識字化が進み、天上の王国(キリスト教)を信じることができなくなった心(集合的メンタリティ)が、観念の世界に築き上げた王国。

宗教(一神教)が(家族システムにおける)権威の代替物として機能していた文化圏(核家族の西欧・アメリカ)において、近代化(=世俗化)の開始から約300年間、唯一絶対の神に代わる(共有物としての)「正しさ」の供給母体となった。

人文・社会科学において彼らが生み出すイデオロギーが極めて理想主義的であり、また、自然科学が自然界(人間の身体を含む)の操作・改変に向かう強い傾向を有しているのは、学問が(天上の王国を司る)唯一絶対の神と同じ役目を担っているためと考えられる。

宗教と学問

西欧では、信仰心の高まりと識字化は一直線の過程だった。キリスト教は世俗の王による国家の樹立を助けた後、民衆の間に広まり、識字化の原動力となった。唯一絶対の神を希求する心は、識字化によって「客観的真実」探究の情熱に転じ、近代国家の建設・運営を支えた。

宗教と学問は実質的に一つのものであり、生き生きとした信仰こそが、彼らの批判精神、そして新たな理想(目標としての「正しさ」)を目指す情熱の源であったといえる。

神が消滅する過程で花開き、百花繚乱の様相を呈した学問は、脱宗教化の完成によって、理想を信じる力と批判精神(疑う力)を同時に喪失し、その生命を失ったのである。

以来、学問は、空虚な理想を語る言辞の裏で、欧米を中心とする西側世界の自己保存(おかねに支えられた覇権)に仕えるだけの存在となっている。

  • 西欧世界における学問(近代)は、一神教(キリスト教)に代わる権威の代替物
  • 唯一絶対の神の代わりに「客観的真実」をいただく観念の王国は、識字化し天上の王国を信じることができなくなった核家族によって築かれた
  • 学問は脱宗教化の過程で開花し、脱宗教化の完成によってその生命を失った

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宗教(一神教)

(家族システムが未分化であるために)地上で国家を生成する能力を欠く原初的核家族が天上に作り上げた王国。

唯一絶対の神は、家族システム(=集合的メンタリティ)における権威の代替物として機能し、原初的核家族や絶対核家族が国家を生成・維持することを可能にした。

古典的な事例はユダヤ教であるが、時代が進むにつれ(→キリスト教→イスラム教)、原初的核家族を含む多様な集団を一つの秩序の下に統合する手段としての性格を色濃く持つようになった。

なお、エマニュエル・トッドは、人間社会における宗教の影響力を過大に評価していると筆者には見える。宗教を過大に評価してしまうのは、彼が西欧の歴史を基礎に世界を見ているからである。

西洋の衰退の根源には宗教的危機(信仰の衰退・消滅)があるとする彼の指摘は正当である。しかし、西洋において信仰の消滅(トッドは「宗教ゼロ」状態と呼ぶ)が致命的であったのは、国家の生成・維持に不可欠な権威の役割を一神教の神が代わりに務めていたからである。究極的な問題は、宗教ではなく、家族システムの次元にあるのだ。

核家族の西洋では、一神教の神は、地上のすべての規範(法、倫理)や共同性の源であった。しかし、一神教を擁する共同体家族や多神教を擁する直系家族の場合、地上の「正しさ」は家族システムに支えられており、宗教はそれを補強しているにすぎない。宗教的危機が国家的秩序を弱めることがあったとしても、崩壊(「国家ゼロ」状態)を導くとは考えにくい。

  • 一神教の神は、地上における権威の代替物
  • 原初的核家族が国家生成の必要のために発明し、後には共同体家族による帝国経営(核家族を含む多様な集団の統合)に役立てられた
  • 宗教的危機が「西洋の敗北」を招いたのは、西欧・アメリカ文化圏では、一神教の神が(家族システム=集合的メンタリティに欠けている)権威の代わりを務めていたため

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おかね(付・資本主義経済)

財やサービスの交換の際の決済手段。形(トークン、粘土版に刻んだ印、帳簿上の数字など)にかかわらず、市場において決済に使用できる媒体はおかねである。

おかねの機能

おかねの基本的な機能は、財の流通の促進・容易化である。原初的な社会では、財は家族類似の集団の中で共有(分配)されるほかは、贈与・互酬の関係を通じて主に親族集団の内部を流通したと考えられる。文明が始まり、都市国家が生まれる頃、交易が始まり、同時におかねの使用も始まった。以来、人間界では、共同体(社会)の内外で、おかねのネットワークが構築され、財の円滑な流通を支えている。

一定の規模を超えた社会で、人々に生活必需品(衣食住に必要な財)を行き渡らせるには、おかねのネットワークを通じた財の流通が不可欠であることから、おかねはしばしば人体における血液にたとえられる。

社会の健康状態(健全性)は、流通するおかねの質と量によって大きく左右される。この点でも、血液の比喩は有意義である。

  • おかねの基本的な機能は、財の流通の促進・容易化である
  • おかねの質と量は社会の健全性を大きく左右する

おかねの価値の源泉

おかねの価値の源泉は、財やサービスとの交換可能性にある。人々がおかねによる決済を受容するのは、そのおかねで別の財やサービスを手にいれることができるからである。この意味で、おかねには「財やサービスを要求する」という性格がある。

社会を流通するおかねの量が増えると、同時に、社会を流通する財やサービスの量も増える。おかねは「財やサービスを要求する」からである。

社会の側から見ると、おかねの増量は「豊かさ」の増加である。一方、自然の側から見ると、おかねの増量は「資源の減少」にほかならない。

地球上の財やサービスは、例外なく(直接・間接に)地球上の資源を原料として生み出されるからである。

19世紀後半以降の化石燃料の大量消費、20世紀後半以降の大規模な森林破壊は、いずれも、各時期におけるおかねの総量の増大がもたらした現象として説明可能である。

ドルの流通量 https://fred.stlouisfed.org/series/CURRCIR
  • おかねの価値の源泉は、財やサービスとの交換可能性であり、おかねには「財やサービスを要求する」性質がある
  • おかねの増量は、社会から見ると「豊かさの増加」であるが、自然の側から見ると「資源の減少」である
  • 化石燃料の大量消費、森林破壊などによる環境破壊はおかねの総量の増加の帰結として説明できる

おかねの信用源

おかねの価値は、おかねそのものの物質的価値ではなく「財やサービスとの交換可能性」にある。おかねが貴金属(金や銀)でできている場合もこの性質に違いはない。

紙幣(紙切れ)や預金(数字)の場合に顕著だが、「財やサービス」そのものではないおかねを決済手段として通用させるには、人々におかねの価値(交換可能性)を信用させるための何かが必要である。通常の場合、おかねの信用の元となるのは、発行者の経済的信用である。

近代以前に紙幣の流通を成功させた事例(中国やモンゴル)では、1️⃣国家(政府)が、2️⃣自らの権威と財力(税金収入や政府自身の事業収入)を信用源として発行・通用させていた。この場合、おかねの信用の基礎は、国内の経済活動(経済的活力)にあるといえる。

現代のおかねは「資本としてのおかね」であり、1️⃣民間の金融機関(銀行)が、自らの財力ではなく、2️⃣貸付(投資)と回収による金回り を信用源として発行する点に特徴がある。

  • おかねを通用させるにはその信用を支える何か(信用源)が必要である
  • 現代のおかねは(発行者の財力ではなく)貸付(投資)と回収の金回りを信用源とする「資本としてのおかね」である

資本としてのおかね(資本主義経済)の誕生

資本主義経済とは、「資本としてのおかね」を基礎として発展した経済のことである。資本主義の基本的な性格を理解するため、この「資本としてのおかね」の誕生の経緯を確認しよう。

(1)民間金融業者が「資本としてのおかね」を発行

「資本としてのおかね」が生まれたのはイギリスである。17世紀のロンドンは「商業革命」(外国から魅力的な商品を掠め取ってきて国内外で売りまくる新規ビジネスの隆盛)にわき、資金需要が高まっていた。

辺境の三流国家であった当時のイギリスの政府に、新しい経済を回すのに必要なおかねを発行する能力はなかった(権威も経済的信用も確立していなかった)。

しかし、当座の資金さえ用意できればいくらでも成功の機会があるというこの状況を見逃す手はない。

そこで、民間の金融業者が手形(紙切れ)や口座(数字)による貸付をはじめ、それらがおかねとして機能(流通・通用)することで「資本としてのおかね」が誕生したのである。

(2)法定通貨化と基軸通貨化

民間の金融業者が発行したおかねの信用源は、「貸せば利子をつけて戻ってくることが確実」(貸付(投資)と回収による金回り)という見込みにある。原資がなくても発行できる点は便利だが、金回りに行き詰まれば即座に信用を失う、不安定なおかねである。

しかし、自身もつねにおかねに困っていたイギリス政府は「貸付によっておかねを生む」というこの魔法に飛びつき、国家財政の中核に据えた(いわゆる「財政革命」→イングランド銀行の設立・国債制度の確立)。ロンドンの街角で生まれたおかねは、 1️⃣民間業者の発行、2️⃣貸付と回収の金回りが信用源 という基本的性格を保持したままで、国の法定通貨になったのである。

魔法のおかねを手にしたイギリスは世界の覇者となり、ポンドは世界に通用する通貨(基軸通貨)となった。やがて、貿易でも工業でもなく金融(貸付)こそがイギリスの基幹産業となり、イギリスは世界に向けて大量のポンドを発行し続けた。

ポンドが「グローバル資本としてのおかね」に成長したこの時期までに、資本主義経済の基本的性格は確立されていた。

(3)「永遠の経済成長」の夢

現代に至る資本主義の性格を定めたのは「グローバル資本としてのおかね」の信用源である。

ロンドンの街角で生まれた「資本としてのおかね」は、三角貿易に代表される植民地貿易の成功によって生まれた。

「資本としてのおかね」は、最初から「無限に広がる(と見えた)ビジネス・チャンス」を信用源としていたが、民間人の貿易だけでは成長は頭打ちだったはずである。

しかし、国家との結びつきはイギリスに成長を「力づくで」もぎ取る力を与えた。さらに、基軸通貨の地位は、世界中の成長機会をイギリスの成長に接続した。

イギリスの覇権が続く限り無限に続くと思われた成長。「グローバル資本としてのおかね」は、こうして、「永遠の経済成長」の夢を信用源として発行され、世界中に流通するものとなったのである。

(3)「成長」の主体はあくまで「自分たち」

重要なことはもう一つある。おかねの信用を支えた「永遠の経済成長」の中身が、最初から最後まで、世界中の富や成長機会を利用した「自分たちの」(イギリス自身の)経済成長であったという点である。

覇者となったイギリスが、このおかねを、世界を搾取するためではなく、世界を真に豊かにするために用いることは(理論的には)可能であったと思われる。しかし、事実として、彼らはその道を選択しなかった。

「自分たちの永遠の経済成長」だけが信用源(金融機関がおかねを発行する動機)であるという性格は、次に基軸通貨となるドルにも自然に受け継がれ、「一部の国(西側諸国)だけを利する」という、資本主義経済の基本的性格を決定した。

  • 現代の資本主義経済を支える「グローバル資本としてのおかね」は、世界の富や成長機会を利用した「自分たちの」「永遠の経済成長」の夢(に依拠した金回り)を信用源とするおかねとして確立した
  • 上記の性格はドルに受け継がれ、資本主義経済は「西側諸国だけを利する」ものとなった

劣化する資本主義経済

二つの世界大戦を経てポンドが(事実上)破綻した後、(自分たちの)「永遠の経済成長」の夢を信用基盤とする基軸通貨の地位はドルに引き継がれた。

大戦直後にはまさに「永遠の経済成長」を体現するように見えたアメリカが、産業力を大幅に上回る旺盛な消費(軍事費含む)によって赤字大国に転落するのに時間はかからず、ドルは1960年代の後半にはすでに破綻の危機に直面していた。

このとき、ドルを支えたのは西側諸国(ヨーロッパと日本)である。戦後の復興の過程で西側諸国はドルのネットワークに深く組み込まれ、ドルの命運は西側諸国を中心に広がる「世界経済」の命運を左右するようになっていた。ドルは、アメリカ一国を超えて、西側諸国全体にとっての(自分たちの)「永遠の経済成長」の夢を背負う存在になっていたのである。

西側諸国は、赤字を抱えるアメリカに支払いを迫ってドルを破綻させる代わりに(黒字分で)アメリカ国債を買い(=アメリカにおかねを貸し)、為替市場ではドル買い介入をしてドルを支えた。

しかし、結果的に見ると、支援によって状況はさらに悪化したといえる。いくら赤字を出しても破綻しない状況下で、アメリカはドルによる大量消費を継続し、西側世界はドルのさらなる過剰供給に苦しむこととなったからである。血液の比喩でいえば、西側諸国は、成長を終えた身体に質の悪い血液を大量に注入された状態となっていた。

それでもなお、ドルの暴落を防ぐため、西側諸国(アメリカを含む)は血眼(ちまなこ)になってフロンティア(新たな投資先)を探し、新たな金融手法の開発、IT・AI・宇宙ビジネスや創薬、新興国への搾取的な投資など、「無限の可能性」の期待をそそる事業への投資を続けた。

近代化の初期や戦後復興期にはたしかに(少なくとも西側諸国の)実質的な経済成長を支えた「グローバル資本としてのおかね」は、こうして、見事なまでに劣化を遂げた。

暮らしむきの向上と無関係の「経済成長」に人々を駆り立て、新興国の富や労働力を搾取して彼らの実質的な成長を阻害し、地球上の資源を徒に浪費して、自身の延命を自己目的とする。「グローバル資本としてのおかね」は、そのような存在に成り下がったのである。

  • 成長期を過ぎてもなお「永遠の経済成長」に向けた大量発行が続けられた結果「グローバル資本としてのおかね」は著しく劣化し、世界を分断・自然を破壊するだけの有害な存在となった

「永遠の経済成長」の夢の終わり

ドルの形をとった「グローバル資本としてのおかね」は、2008年に事実上破綻し、現在は延命治療によって生き永らえている状態であるが、破綻が顕在化するのは時間の問題である。

現在の世界の歪みと混迷の原因は、世界を流れる「血液」であるおかね(グローバル資本)が、1️⃣特定の国家に帰属し、かつ、2️⃣彼ら自身の「永遠の経済成長」という法外な夢(に基づく金回り)を信用源とするおかねであったことにある。

ドル崩壊後も「資本としてのおかね」の利用は続くであろう。しかし、新たな国際通貨(グローバル資本としてのおかね)は、1️⃣異なる家族システム(集合的メンタリティ)に依拠する複数の国家・社会がそれぞれor共同で、2️⃣相当程度の公的管理の下で、3️⃣それぞれの集合的メンタリティに見合った経済活動に資する目的のために発行するおかねとなることが予想され(いわゆる多極化 [multipolarization])、単一の勢力の暴走によって生じた苛烈な紛争、自然破壊、経済的・社会的格差の増大といった問題は、(時間をかけて)抑制されていくはずである。

ドルの終わりは、西側諸国が見た(自分たちの)「永遠の経済成長」という法外な夢の終わりである(近代の終わりでもある)。

不安ですか?
いやいや。

西側諸国を含むすべての人間に、より公平で、常識的で、持続可能な社会への道を開く、絶好のチャンスの到来である。

  • ドルの終わりは「(西側諸国の)永遠の経済成長」という法外な夢の終わりであり、より公平で、常識的で、持続可能な世界への第一歩である

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トッド後の社会科事典

近代

ヨーロッパが世界の中心に躍り出て覇権を握った時代のこと(概ね16世紀ー現代)。

近代より前、文明の進歩は社会の絆(家族システム)の革新とともにあった。家族システムの進歩とは無縁であったヨーロッパが突如文明の中心地となった要因は、全人口における識字率の急激な上昇にある。

先に文明の進歩を経験していた地域では、安定性を志向した社会の構造化の中で、文字の自由な使用が知識人階級に限定される傾向が見られたが、ヨーロッパはそうした制約を持たなかった(ゆるかった)。そのため、精神的・物質的な諸条件が整うと一気に識字率が高まり、文化力が爆発的に開花したのである。

それ以前の文明と深く接続していなかったヨーロッパは、自らが近代に達成した事績のすべてを「進歩」とみなし、覇権の拡大とともにその価値観は全世界に広まった

しかし、実際には、その多くは、かなり単純に、核家族的メンタリティの具現化そのものであり、世界中がそれを模範とすることが妥当であった(る)とは考えられない。

近代以降の社会科学は、近代=ヨーロッパ文明を「進歩」とみなすところから出発している。そのすべてを相対化することが「トッド後」と銘打つ本事典の基本的な視座である。

  • 近代とはヨーロッパが覇権を握った時代のこと
  • 全世界に先駆けての大衆識字化が覇権の根幹。その要因は社会が単純なまま維持されていたこと
  • 近代社会の特徴とされるものは概して核家族メンタリティの具現化そのもの

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トッド後の社会科事典

幸せ(幸福)

社会を構成する一人ひとりに自らの人生を司るものとして与えられた規範。「正しさ」とセットで社会の構築・維持のために機能する

「正しさ」と同様、社会の精神的絆(家族システム)の在り方によって基準や深度が異なる傾向にある。

誕生の経緯等については「正しさ」の項目を参照のこと。

  • 「幸せ」は「正しさ」の個人版(個人の人生向け)

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トッド後の社会科事典

正しさ(正義)

人間が、精神的な絆(社会)を構築・維持するために作り出した観念。自然界には存在しない

人類の社会化(約70000年前)と同時に誕生したと推測されるが、社会の複雑化 ≒ 国家の成立とともに、がぜん大きな役割を担うようになった。

原初的社会の正しさの基準はもっぱら「自分と仲間」(身内)の生存と快楽にあったと考えられる。人口増加により社会内部の秩序維持が課題となると、より普遍的な正しさをもって社会を律することが必要となる。人間の社会は、この状況に対応するために、縦型の権威の軸を生み出し、以後はこの権威を支えとして、宗教や法、常識などのかたちで、正しさを定立・拡充していった。

各社会における正しさの基準は、通常は、社会の精神的絆の在り方(家族システム)に左右され、例えば、直系家族の場合には家系の永続、共同体家族の場合には国家の安寧、緩和された共同体家族の場合には世界の平和(神の秩序?)が指導理念となる。

なお、権威の確立した社会では、構成員の(ある程度の)総意をもって、社会内に一つの正しさを定立することが可能である。しかし、権威の確立していない社会では、正しさは、利害や意見の異なる者同士の戦いによって決定されるのが通常となる。

  • 正しさは社会の構築・維持のために人間が作り出した観念。自然界には存在しない
  • 国家の成立とともに役割が巨大化した
  • 正しさを支えるのは権威
  • 権威が確立されていない社会では戦いが決する

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トッド後の社会科事典

社会

人間が営む共同体。自然や外敵からの防衛、食糧の確保、老いや病・出産育児の際の生活支援(相互扶助)を主目的とする点は他の動物の群れと同じだが、精妙な精神的(感情的・霊的・知的)紐帯で結ばれている点に特徴がある。

本サイトの理解によれば、この「社会」の形成(≒ 精神的深化)こそが、生物種としての人間に独特の生存戦略であり、地球上における人間の繁栄を可能にした要素である。したがって、人間を理解するには、社会の成り立ちを理解することが決定的に重要である。

社会と家族

社会の実体は、個体と個体を結ぶ精神的な絆の中にある。絆の在り方を決めているのは、家族・親族の在り方である(家族システム)。

社会にとっての家族システムの重要性は、人間が家族の中に生まれ落ちる生物であることの単純な帰結と考えられる。

進化のはじまり

人間が人間となった当時(約70000年前)の社会は、地球上に(少なくとも)比較的最近まで存在した狩猟採集社会と同種のものであったと考えられる。核家族(夫婦と成人前の子どもからなる世帯)を基本に、その周囲に事実上存在する親族集団が必要に応じて協力し合うごく緩やかな共同体である(規模は大きくて1000人程度)。

その後も長い間、人間は同種の社会を営み続け、地球上にこうした人間の集団が散在する状態が続いた。

進化の第一歩が踏み出されたのは、前4000年頃の西アジアにおいてである。農耕文明の中心地であった同地で、人口増加による土地不足のため、農地を親から一人の子ども(多くは長子)に受け継ぐ慣行が行われるようになったことが革新の契機となった。

成人した子どもが全員家を出て(農村の場合は新たな土地を開墾して)新たな核家族を作る仕組みの下では、家族と家族、集団と集団の間に「親族である」という以上の関係性が生じることはない。

長子相続は、こうした世界に、親と子、祖先と子孫をつなぐ一筋の絆をもたらした。上の世代と下の世代を権威関係で結ぶ縦型の堅固な軸が、社会を構造化する柱の役割を果たし、以後、社会は一気に国家の形成へと向かったのである。

異質な社会が併存する世界

緩やかな親族集団からスタートした人間の社会は、家族システムの進化(個人と個人をつなぐ精神的絆の構造化)とともに変化を続け、小規模な国家(都市国家)が成立した後、帝国(複数の都市国家を統一した国家)、世界帝国(より広域の帝国)へと発展していった。

ある地域で家族システムの進化が生じると、その家族システムは支配や模倣を通じて周辺に拡散したが、歴史を通じて、一つのシステムが世界を覆い尽くすほど拡大することはなかった。

その結果、この世界には、進化の段階を異にする多様な家族システム(→異なる種類の精神的絆に依拠する社会〔国家や各種共同体〕であり、異質な集合的メンタリティを有する社会)の併存状態がもたらされることになったのである。

社会が担う二つの役割:戦争と平和

社会の基本的機能は種の保存であり、精神的絆の構築により生物種としての効果的な生存を図るというのが人間の採用した戦略である。

原初的な核家族システムは、社会の絆をもっぱら「外部との戦い」(外部から来る危険や困難に共同で立ち向かう)のために用いることで、この機能を果たしていたが、家族システムの進化は、社会に「内部の融和」(共同体内部の紛争の解決・予防)という新たな役割を付け加えた。

人口増加による紛争の多発状況が、家族システムの進化を生んだという事情を考えれば当然のことではあるが、これによって人間が、「自己保存」(身内の生存・生活の防衛)の価値に加え、「共存共栄」(他者との平和的共存)という価値を内面化するようになったことは、それなくして人間がこれほどまでに地球上に繁茂することはなかったであろう、画期的な進歩であったといえる。

現状

膨大な数の人間が地球上に広がり、人間が巨大な自然破壊力(高度な科学技術)を手にしている現在、人間界の秩序が(ある程度)保たれることは生態系全体にとって死活的に重要となっているが、家族システムの進化にも関わらず、人間界の平和は実現していない。

その理由としては、1️⃣異なるシステム(=異なるメンタリティ)の社会が併存し相互理解に限界があること、2️⃣「近代」以降、原初的な核家族に近いシステムの社会が人間界の覇権を握っていること、などが挙げられる。

しかし、最大の理由は、以下の点にあるのではないかと筆者は考えている(仮説である)。

3️⃣人間の社会は、自己保存(外部との戦い)の価値と共存共栄(他者との平和的共存)の価値の双方を内在している場合でも、究極的には前者が優先される仕組みになっている。

人間が、平和を謳う一方で、いとも簡単に他者(他の社会)を敵視することができるのは、社会(=集合的メンタリティ)の優先順位があくまで「自己保存のための絆の構築」にあるからではないか。

平和への希望は、人間が、その精神の自由を、人間自身の精神性の限界(少なくともその可能性)を認識・制御する方向に向けることができるか否かにかかっていると思われる。

  • 社会の実体は、個体と個体を結ぶ精神的絆の中にある
  • 社会ごとの絆のあり方は、家族システムによって決まっている
  • 家族システムの進化が国家を可能にし、進化が一様に進まなかったことが多様なシステムの国家の併存状態をもたらした
  • 家族システムの進化は、生物の本能から来る「自己保存」に加え、「共存共栄」(他者との平和的共存)の価値を人間の集合的心性に付加した
  • 社会の優先順位があくまで「自己保存のための絆の構築」にあるためか、人間界の平和は実現していない

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トッド用語事典

原初的核家族

家族システムは文明とともに分化(differentiation)(進化といってもよい)を始め、多様性を獲得していくが、トッド(や、おそらくかなり人類学一般)によると、進化が始まる以前には、一つの単純なシステム(柔軟な核家族システム)が、世界を覆い尽くしていた。原始社会のこの単純で柔軟な家族のあり方を、このサイトでは、原初的核家族と呼んでいる。

後述の通り、原初の家族の特徴は「ひたすら柔軟である」という点にあり、そのあり方は、家族が「システム化以前」の状態にあることを示している。トッドや本サイトが、原初的核家族を「システム」と呼ぶことがあるのは、単に、便宜上の言葉遣いであることにご留意いただきたい。

核家族の「後進性」の発見

西欧に多く見られる核家族は、一般に「近代的な」(=「進歩した」)家族システムであると理解されていた。しかし、人類学は、従前から、未開人の集団の中には、西欧によく似た核家族システムが見出されることを報告しており、これは一種の謎と見做されていた(下はトッドの引用するレヴィ・ストロース)。

近代社会において一夫一婦婚、若い夫婦の独立居住、親子関係の温かさ ーーこれらは未開人の見慣れない慣習や制度の複雑に入り組んだネットワーク越しに認知することが、必ずしも常に可能ではない要素であるーーを特徴としているあの家族類型は、それでも最も初歩的な分化水準に留まり続けた(か、舞い戻った)と思われる集団の中のいくつかにおいて、明瞭に存在が証明されているように思われる。インド洋の島々に居住するアンダマン人、南アメリカの南端のフエゴ島人、中央ブラジルのナンビクワラ人、南アフリカのブッシュマンーーいくつかの例のみを引くに留めるがーーのような集団は、半放浪的な小さなバンドを作って生活している。政治組織はほとんど、もしくは全くない。技術水準はきわめて低い。‥‥ しかしながら、彼らにおいて社会構造の名に値する唯一のものは、家族であり、その家族は主に一夫一婦制である。現場で観察する研究者が夫婦のカップルを特定するのには何の困難もない。夫婦は、感情的絆、経済的協力関係、そしてまた彼らの結婚から生まれた子供たちの教育によって、緊密に結び合わされているのである。

エマニュエル・トッド「家族システムの起源I」(上・26-27頁)(出典はLevi-Strauss C,, La famille”, p94-95 )

イングランド人、アンダマン人、フエゴ島人、ナンビクワラ人‥‥という配置から、現代の核家族システムは、決して「近代的な」新しいシステムではなく、むしろ、かつて支配的であった古いシステムの残存であるという事実を突き止めたのが、エマニュエル・トッドである。

この発見は、家族システムの進化を基礎とした世界史の書き換えという壮大なビジョンをもたらす糸口となったものであり、トッドの業績の中でも、最大級のものの一つといえる。

原初的核家族の類型

では、その原初的核家族とはどんなものなのか。トッド自身に説明してもらおう。

ここまで来れば、人類の原初的な人類学的システムを単純化し、理念型として記述することができる。

家族は核家族である。けれども核家族型に教条的にこだわるわけではなく、若いカップルと年配の両親が一時的に同居することもあり得る。

女性のステータスは高い。親族システムは双系的、あるいは未分化と呼ばれ得るシステムで、母方の親族と父方の親族に、子供から見た世界の輪郭の中で同等のステータスを与える。

婚姻は外婚制で、本イトコよりも遠い関係の人々のうちに配偶者を求める。しかし、このルールにも教条的に固執するわけではない。離婚は可能。

兄弟たちや姉妹たちの家族同士の相互影響関係は強く、それがローカルな集団を構造化する。

どんな関係も完全に安定的ではない。家族も、個人も、分かれたり、再び結集したりする。

家族を超える集合には二つのレベルが存在する。

(a) 複数の核家族が、大抵は親族関係にある核家族だが、一つの移動グループを構成する。

(b) それらのグループがいくつもあり、おそらく1000人程度の人口が暮らすテリトリーにおいて、相互に配偶者を交換する。しかし、その境界線は多孔的で、かなり自由に出入りできる。

エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか』(上・145-6頁)(適宜改行したー辰井)

ヨーロッパ(とくにイギリスやオランダ)の核家族と原初的核家族は、他の地域が家族システムの進化によって獲得していった特質(縦型の権威、平等など)を一つも持っていないという点は共通している。

しかし、原初的核家族が、「核家族であってもなくてもどっちでもいい」「必要があればどんな結びつきも可能である」という無限の柔軟性を特徴とするのに対し、イギリスやオランダでは核家族は規範である。

ヨーロッパの核家族は、現存の家族システムの中でもっとも未発達なものではあるが、「柔軟性」という原始の人間が持っていた(おそらく)最大の強みを失っている。その意味では、両者の違いはかなり大きい。

他方、アメリカはどうか。また東南アジアの核家族地域はどうか。この辺りは、トッドも、また本サイトも、明確な答えを見出していない領域と思われる。

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トッド後の社会科事典

人間

比較的貧弱な身体能力にかかわらず地球上の食物連鎖のトップに君臨する生物。他の生物と同様に自然界(宇宙)に存在するが、発達した大脳機能を駆使して脳内に「社会」という疑似的な宇宙(宇宙内宇宙)を作り上げ、主としてその中で生活をする点に最大の特徴がある

人類が「社会」の形成を始めたのは約70000年前である。言語的コミュニケーション、抽象的思考に基づく文化的営為、高度な技術を用いた生態系への介入等を特徴とする種としての人間は、この時期に誕生した。以後の遺跡に見られる大型動物の狩猟、埋葬、身体装飾、象徴(記号や絵)の痕跡は、精神的(感情的・霊的・知的)な絆で結ばれた共同体が構築され始めたことの証である。

スティルベイ文化の代表的遺跡(ブロンボス遺跡)からの出土品
https://kids.britannica.com/students/article/Blombos-Cave/606844

人間が作り出した高度な社会や文化は、直立歩行に由来する身体的特徴(発達した大脳、上肢(手と腕)の自由な使用)と関連づけて捉えられることが多い。しかし、人類は、直立歩行に適した身体と大きな脳を持つ生物として登場した後も長い間、文明とは無縁の暮らしを送っており(ホモ・ハビリスの登場は約240万年前、ホモ・サピエンスは約20万年前)、人類の「人間化」の直接的な原因を直立歩行(脳の大きさや手の使用)に求めるのは無理がある。

人間への飛躍をもたらした究極的な原因や機序を特定することはできないが、火山の巨大噴火が引き起こした寒冷化や最終氷期の開始といった気候変動と関連づける有力な仮説が存在し、魅力的である。こうした仮説に依拠した場合、人類の「人間化」は、種としての生存の危機に追い込まれた人類が、その克服のために、社会化と精神性(感情・霊性・知性)の開花を同時に成し遂げた結果として説明されることになる。

「人間は考える葦である」(パスカル)「われ思う、故にわれあり」(デカルト)等の語に顕著なように、近代文明は精神性を人間の「個」性(や個人の尊厳)の源と捉える強い傾向を持っている。しかし、精神性が(種としての)人間の生存のために担った役割を省みれば、その主要な機能が仲間との絆の構築にあることは疑いない。生存可能性を高めるために人間が開発した特異的な能力は「信じる力」(虚構を真実として共有する能力)の方であり、疑う力(自由に考える能力・批判的思考力)はその裏面にすぎないという想定すら成り立つであろう。

人間の集団が共有する観念や物語は、総じて、生物(とくに動物)にとって本源的な感情や欲求(死の恐怖、食餌・生殖への欲求、仲間を求める感情等)を増幅・誇張する内容となっており、生物の自然的欲求を(大脳機能によって)集団的に増幅することで生成される一種の「危機意識」の共有が人間の生存戦略であることをうかがわせる。

この生存戦略の副作用として、生物としての自然的欲求と大脳の増幅・誇張機能によって得られた欲求を区別することが困難となった人間は、つねに過剰な欲求をいだき、欲求を満たそうとすると往々にして自然の矩を超えてしまうという難儀な運命を抱え込むこととなった。

他の生物種との競争に圧勝した人間は、地球上(の陸地)に最も広く分布する生物として繁栄したが、個体数の増えすぎ、および、「社会」の論理への過剰適応により、1️⃣人間間の争い、2️⃣人間の介入による自然界への負荷 がいずれも制御困難となり、自然の生態系全体を危機に晒すに至っている。

  • 人間の特徴は「社会」の構築
  • 人類が人間になったのは約7万年前
  • 種としての生存の危機を克服するための「社会化+精神性の開拓」か
  • 精神性(感情・霊性・知性)の第一の機能は絆の構築
  • 危機意識の共有という生存戦略のために、人間はつねに自然的必要性を超えた過剰な欲求を抱えることになった
  • 個体数の増えすぎと「社会」への過剰適応が、生態系の危機をもたらしている

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